『ケープ・フィアー』(Cape Fear)は、1991年のアメリカ映画。1962年に公開された『恐怖の岬』のリメイクである。憎悪と復讐心を蓄えた服役中の男と、その復讐相手である担当弁護士およびその家族を描くサイコスリラー映画。
昨年末に「恐怖の岬」(62年)を見たので、92年の下品なスコセッシ版を30年ぶりに見直してみた。
ソール・バックによる美しいタイトルバックに原作のバーナード・ハーマンのスコアをバーンスタインが編曲したものが被さり、スリラーであることが大袈裟に強調されたかと思うと、ジュリエット・ルイスの意味ありげなモノローグで映画は始まる(ラストもルイスの「The end.」という台詞で幕を閉じる)。
強姦魔のロバート・デニーロは全身に中2病みたいな刺青を入れているのだが、刑務所で猛勉して文盲から法律書やニーチェまで読みこなす教養人に変身しつつも、獄中で女のように犯されたことを根に持って復讐を誓っている鬼であり、この屈折したキャラ造形が映画的なコアになっている。しかしデニーロは筋トレに余念がなかったりして、わかりやすく不穏なキャラを強調しすぎてしまい、ロバート・ミッチャムの無表情な怖さと比べると描写が下品に直接的すぎるぶん、だんだん白けてくる。
なお、62年版のミッチャムが「白い男」だったのに対し、本作のデニーロは「赤い男」となっている。
62年版ではグレゴリー・ペックが先回りして怖がりすぎで、過剰防衛の前科者叩きの映画になっていたのだが、本作のデニーロは見るからにアブナイので、口ばかり達者な小心者弁護士であるニック・ノルティの行動は多少正当化されている。
ノルティは、14年前にデニーロを弁護した裁判で情状酌量の資料をもみ消した後ろめたさがあるのだが、デニーロが現れるまでそんなことはすっかり忘れていたし、女好きで裁判所の書記と不倫中で、妻(ジェシカ・ラング)にも娘(ルイス)にも誠実とは言えない「善良な小者」である。思春期のルイスも親の干渉から逃れたくてヘンリー・ミラーの性描写に耽溺中で、62年版に比べて家族はちょっとずつ俗悪になっていて、感情移入しにくい。
後ろからのしかかって人を殺すデニーロの手口は、ミッチャムの警官殺しを踏襲していると言っていいだろう。クライマックスは嵐の中で船がバラバラになるミニチュア撮影で、ここでもやり過ぎ感が満載で笑ってしまった。なお、ミッチャムは家族を囮にするアイデアを主人公に授ける地元警察の警部として、グレゴリー・ペックはデニーロが雇った腕利き弁護士としてカメオ出演している。
キャスト
マックス・ケイディ(ロバート・デ・ニーロ)
サム・ボーデン(ニック・ノルティ)
リー・ボーデン(ジェシカ・ラング)
ダニエル・ボーデン(ジュリエット・ルイス)
クロード・カーセク(ジョー・ドン・ベイカー)
エルガート(ロバート・ミッチャム)
リー・ヘラー(グレゴリー・ペック)
ローリー・デイヴィス(イリーナ・ダグラス)
トム・ブロードベント(フレッド・トンプソン)
裁判長(マーティン・バルサム)
フルーツスタンドの客(チャールズ・スコセッシ)
スタッフ
監督:マーティン・スコセッシ
脚本:ウェズリー・ストリック
製作:バーバラ・デ・フィーナ
製作総指揮:キャスリーン・ケネディ/フランク・マーシャル/スティーヴン・スピルバーグ(クレジットなし)
音楽:バーナード・ハーマン/エルマー・バーンスタイン
撮影:フレディ・フランシス
編集:セルマ・スクーンメイカー
配給:ユニヴァーサル映画
公開:1991年11月15日(日本 1991年12月21日)
上映時間:127分