映画

2020年の映画

透明人間

中盤までセシリアは透明人間を「見て」いないが、観客は彼女が怯える理由を理解している。「透明人間に狙われていると訴える女性が社会から信じてもらえない状態」はきわめて現代的な恐怖なのだ。
映画

ジャックは一体何をした?

1930〜50年代のB級犯罪映画のテンプレとも言える台詞が大量に混入しており、リンチはそれらを記号の「抜け殻」として配置している。刑事もジャックも映画の中の人物を演じ続けているのだ。
2011年の映画

ファイナル・デッドブリッジ

「観たと思うけど?」と思いつつチェックしたら未見だった。いや観たかもしれないのだが、「デッドブラッド」を観た今となってはどちらでもいいような出来だった。
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007 スペクター

「スカイフォール」に及びもつかぬとっ散らかった映画だった。スペクターとプロフェルドの権利をMGMが買い戻したものの、うまく復活させられず、まるでマーベルユニバースみたいになってしまった。
映画

ミッシング・デイ

シカゴの夫婦がハイチ地震の孤児ニーナを引き取りにプエルトリコに来る。翌朝ニーナが誘拐され、夫婦は養子縁組が詐欺だと知り唖然となるところまでが映画として面白い。これ以降はすべて蛇足の展開。
映画

ゴーン・ガール

共依存と支配の物語。ロザムンド・パイク演じる悪女エイミーがニックを憎悪しながらもその作り笑いに執着し、ニックもまた彼女を畏れながらも支配される環境を自分の場所として受け入れる。
映画

波紋

この映画に関してはネタバレを書きたくない。私は感動のあまり思わず涙ぐんでしまったのだが、できれば同じ驚きを共有してほしいからだ。
映画

グランド・イリュージョン

これは面白いはず、と思って観始めて、実際、途中までは面白く観ていたのだが、本作はかなり宙吊りの状態で終わる映画である。
映画

15時17分、パリ行き

元来イーストウッドは俳優への演技指導に関心がないと言われる。俳優を起用せずにここまでのものを撮れることに驚くべきではないのか。伏線皆無の細かな事実の積み重ねによる緊迫感!
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ザ・ウォッチャーズ

中ダレが激しいのだが、終盤は以下でネタバレするような畳みかけ&3重底のどんでん返しがあり、後味は悪くない。
2012年の映画

007 スカイフォール

シルヴァのMに対する想いは複雑怪奇に屈折しまくっており、結局、彼とボンドは母なるMを抱く兄弟なのだ(MはMで、スコットランドの自然を前にボンドの母親であるかのような台詞を吐く)。
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爆弾

タゴサクは、言ってみればソーシャルネットワークにおける「炎上」装置を体現する存在であり、一貫して「霊感」「催眠術」と他責の姿勢を崩さないのも、匿名の悪意の肥大を思わせる。
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動物界

ここには移民、障害者、分断、戦争といったメタファーがあり、つまり多様性への眼差しがある。フランス映画らしいアート寄りのスリラーである。
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ある殺し屋

「俺は自分しか信用しない。死刑台にのぼるのも俺ひとりでたくさんだ」とうそぶくニヒルな市川雷蔵は、思えば眠狂四郎と通じるものがある。
映画

ファイナル・デッドブラッド

シリーズの死者が全員スカイビューの死者の血縁者だったという目ウロコな新設定。本作が自分たちを棄てた母親をヒロインが赦すという血縁ドラマでもあることを考えれば、なかなかうまいではないか。
映画

すべての終わり

無駄なエピソードが多く、駄作の誹りを免れえないだろう。死に際にトムがウィルを認めるくだりなども埋没している。余計な部分を削ぎ落としていくと、ほとんど何も残らない映画である。
2021年の映画

デンジャー・ゾーン

何を言いたいのか空中分解しているという評判のSF戦争映画である。
2010年の映画

インセプション

2時間42分という上映時間内で「この映画だけの複雑な虚構内ルールを理解する」というミッションを観る者に与える映画である。最初から最後まで、全編ルールの説明に次ぐ説明に終始しているのだ。
2021年の映画

ハード・ヒット 発信制限

「タイムリミット 見知らぬ影」(2018年)の韓国リメイクとされるが、その映画自体、スペインのスリラー映画『暴走車 ランナウェイ・カー』(2015年)のリメイクである。設定はほぼ本作と同じ。
1974年の映画

ハリーとトント

「ハリーとトント」の感想と評価・独自の考察を交え、キャストや配信情報を徹底レビュー。