映画

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監督・脚本の二人の名を前作のスタッフリストに探すと、編集担当であることがわかる。つまりこうした「スクリーンライフ・スリラー」は何より編集の映画なのだ。
2011年の映画

REC:レック/ザ・クアランティン2 ターミナルの惨劇

生き残ったのはクソガキ風の少年だけという何も感想の出てこない映画であった。
2021年の映画

Mr.ノーバディ

「一般市民だと思ったら最強の男でした」ジャンル(「コードネーム:プリンス」など)に属する映画で、主人公が“覚醒”する都合上、だんだん(そして際限なく)強くなる。
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夜勤事件 The Convenience Store

ゲーム原作と知っていたら観なかったと思う。エンドクレジット後に南琴奈の「にやりと笑うショット」が入るのだが、あまり悪そうに(怖そうに)見えないのはどうなんだ。
ドラマ

変身

東野圭吾特集のために映画版とドラマ版を確認したのだが、女優が逆なら良かったのにと思うのは私だけだろうか。
映画

原作の周到な仕掛けをみごとに映像化している。まるで原節子のような瀧内公美の淫蕩さがリアルな夢になっている。夢と知りつつそれを貪る老人のあさましさ。
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ザ•.ラストハウス

正直よくわからないまま終わってしまう。単純化すると、海の知的生命体であるタコが人類を諫めにくる密室サバイバル映画か。
映画

PERFECT DAYS

問題は平山が一体何をして服役していたのかということだが、あのラストシーンを見た後では、何であってもいいという余韻になっている。
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トパーズ

無名の人々の死をめぐる回想で締めくくられたエピローグは、従来のヒチコック映画にほとんど見られなかった視線と言える。
映画

そして僕は途方に暮れる

「出て行く」たびに大急ぎでリュックに服を詰め、自転車を立ち漕ぎして飛ばす藤ヶ谷太輔は、そのたびに「振り返る」。最後の表情は何とも言えない。
1990年の映画

ミザリー

バリー・ゾネンフェルドは、アングルとピントの合わせ方だけで、これだけ人を怖がらせることができることを証明した。観客の視線を自在に誘導する正確さは、まさに職人芸である。
映画

キャリー

そばかすだらけのシシー・スペイセクは今見ても魅力的なのだが(ウィリアム・カットと踊る360°旋回キャメラが素晴らしい)、実は当時27歳の人妻だった。
映画

雪国(1965年)

それを「虚無的」と片付けていいものか正直わからないが、何を考えているのかよくわからない主人公・島村が、一方的に人や景色を眺めるだけの存在なのは確かである。
1991年の映画

羊たちの沈黙

撮影監督タク・フジモトは、視線の映画として、クラリスとレクターの瞳の色が同じに見えるように撮っているのではないか。二人は鏡像関係にある。
映画

バンテージ・ポイント

事件が起こり、さあどうするというところで巻き戻って次の23分が頭から始まる構成で、もう巻き戻らない最後の視点が真のクライマックスになり、最後の数秒でそれまでの伏線が全部回収される。
映画

運命じゃない人

編集だけかと思ったら撮り直したりもしていて驚いた。時系列もちょいちょい巻き戻されるので、観ている方はこんがらがり、再見を強いられる。
映画

木挽町のあだ討ち

物語の見せ場であるあだ討ちシーンは、練りに練られたものと思われる。歌舞伎的な見せ場や日本舞踊的な様式美が盛り込まれて、特撮ヒーローのアクションシーンのようなイマドキのものだった。
2020年の映画

ただ悪より救いたまえ

常軌を逸した死体の山は、屠殺人の息子である在日のイ・ジョンジュが殺戮以外にもはや帰る場所がないことを示している。記憶に残る悪役である。
映画

招かれざる客

ヘップバーンとトレーシーの最後の共演作である。愛情の深さが伝わってくるような良い映画だった。
映画

THE GUILY / ギルティ

画面に映らないイメージが電話の向こうのかすかな音だけで脳内に展開する、安楽椅子探偵風の趣向になっている。観ていて思わず身を乗り出すみごとな演出だ。
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