「女モンスター物」とでも言うべきジャンルがある。
単なる女性の悪役(ヴィラン)や怪物とは異なる。
強いて規定するとしたら、「女であること」と切り離せない理由によって社会からはみ出し、性差を超えた怪物へと変貌を遂げた反社会的な存在ということになるか。
彼女たちの物語は、観る者に恐怖と同時に奇妙な共感や魅力を感じさせ、社会の歪みを鋭く映し出す鏡となる。
その見どころは、以下の3つの側面に集約される
すなわち、恐怖(Fear)(予測不能な行動、常軌を逸した暴力性・精神性)、魅力(Fascination)(絶望的な状況で見せる知性、強さ、カリスマ性)、おそろしさ(Dread)(彼女たちを「モンスター」へと変貌させた社会構造への根源的な恐怖)である
真っ先に思い浮かぶのは、あのシャーリーズ・セロンがアカデミー主演女優賞を受賞した「モンスター」(2003)である。
アメリカ初の女性連続殺人犯とされるアイリーン・ウォーノスの半生を描いた映画で、アイリーンは、幼少期からの虐待、路上での売春という過酷な人生を送る中で、初めて愛した女性セルビーとの生活を守るため、客の男たちを次々と殺害していく。
その暴力は衝動的で、当初は自己を守るためのものだったはずが、次第に内なる怒りと絶望に支配されてエスカレートしていく。セロンが体重を増量し、特殊メイクで挑んだ鬼気迫る形相は、一度見たら忘れられないものだ。
絶望の淵にありながら、セルビーに見せる不器用な愛情や純粋さ。社会の最底辺で人間としての尊厳を渇望する姿は、観る者の胸を締め付ける。彼女は怪物であると同時に、愛を求める孤独な人間でもあるのだ。
アイリーンという「モンスター」を生み出したのが、彼女を搾取し、人間として扱わなかった社会そのものだったように、「女モンスター」たちの物語は、女性が社会から受ける抑圧、期待、そして搾取に対する過激なアンチテーゼである。
彼女たちは、良き妻、良き母、従順な女性といった役割を拒絶し、破壊という形で自己を解放する。
その根底にある怒りや悲しみ、そして絶望的な状況を生き抜こうとする生命力に、私たちは目を奪われる。
「女モンスター物」とは、社会のタブーに触れ、人間の複雑な心理の深淵を覗き込む、スリリングで奥深いジャンルなのだ。