映画

映画

雪国(1965年)

それを「虚無的」と片付けていいものか正直わからないが、何を考えているのかよくわからない主人公・島村が、一方的に人や景色を眺めるだけの存在なのは確かである。
1991年の映画

羊たちの沈黙

撮影監督タク・フジモトは、視線の映画として、クラリスとレクターの瞳の色が同じに見えるように撮っているのではないか。二人は鏡像関係にある。
映画

バンテージ・ポイント

事件が起こり、さあどうするというところで巻き戻って次の23分が頭から始まる構成で、もう巻き戻らない最後の視点が真のクライマックスになり、最後の数秒でそれまでの伏線が全部回収される。
[スポンサーリンク]
映画

運命じゃない人

編集だけかと思ったら撮り直したりもしていて驚いた。時系列もちょいちょい巻き戻されるので、観ている方はこんがらがり、再見を強いられる。
映画

木挽町のあだ討ち

物語の見せ場であるあだ討ちシーンは、練りに練られたものと思われる。歌舞伎的な見せ場や日本舞踊的な様式美が盛り込まれて、特撮ヒーローのアクションシーンのようなイマドキのものだった。
2020年の映画

ただ悪より救いたまえ

常軌を逸した死体の山は、屠殺人の息子である在日のイ・ジョンジュが殺戮以外にもはや帰る場所がないことを示している。記憶に残る悪役である。
映画

招かれざる客

ヘップバーンとトレーシーの最後の共演作である。愛情の深さが伝わってくるような良い映画だった。
映画

THE GUILY / ギルティ

画面に映らないイメージが電話の向こうのかすかな音だけで脳内に展開する、安楽椅子探偵風の趣向になっている。観ていて思わず身を乗り出すみごとな演出だ。
映画

search/サーチ

冒頭のカレンダーに、一瞬、「ヴィック(Vic)とのお下がり交換会」の予定という重大な伏線が映り込んでいる。ヴィックと亡妻マーゴットには面識があったのだ。
2021年の映画

ベケット

どうでも良いと思われる政治的な背景が映画を観ているだけだとはなはだピンとこないのは、それとは関係なく、映画の作りがガタガタだからということでもある。
2020年の映画

ザ・ハント

監督はB級映画の常道を逆手にとっていて、冒頭まもなく始まるサバイバルゲームは実際その要素満載。ほとんど期待しないで観始めたら、これは傑作であった。
映画

Wの悲劇

ラストシーンの彼女がエンドクレジットが流れる数分間にストップモーションになっても、飽かずにそれを眺めていられる感動は、澤井監督が意図した通りだった。
映画

INTERCEPTOR/インターセプター

セガールの駄作より酷いと評判の映画だが、何も考えずに観るにはちょうどいいとも言える。大袈裟な劇伴も90年代みたいなアホらしさで、楽しい。
映画

HELP/復讐島

レイチェル・マクアダムスのキャラ設定が絶妙で、中盤までは好意的に見ることも可能なのだが、後半になるにつれ、少しずつ怪物性を露わにしていく。
2020年の映画

透明人間

中盤までセシリアは透明人間を「見て」いないが、観客は彼女が怯える理由を理解している。「透明人間に狙われていると訴える女性が社会から信じてもらえない状態」はきわめて現代的な恐怖なのだ。
映画

ジャックは一体何をした?

1930〜50年代のB級犯罪映画のテンプレとも言える台詞が大量に混入しており、リンチはそれらを記号の「抜け殻」として配置している。刑事もジャックも映画の中の人物を演じ続けているのだ。
2011年の映画

ファイナル・デッドブリッジ

「観たと思うけど?」と思いつつチェックしたら未見だった。いや観たかもしれないのだが、「デッドブラッド」を観た今となってはどちらでもいいような出来だった。
映画

007 スペクター

「スカイフォール」に及びもつかぬとっ散らかった映画だった。スペクターとプロフェルドの権利をMGMが買い戻したものの、うまく復活させられず、まるでマーベルユニバースみたいになってしまった。
映画

ミッシング・デイ

シカゴの夫婦がハイチ地震の孤児ニーナを引き取りにプエルトリコに来る。翌朝ニーナが誘拐され、夫婦は養子縁組が詐欺だと知り唖然となるところまでが映画として面白い。これ以降はすべて蛇足の展開。
映画

ゴーン・ガール

共依存と支配の物語。ロザムンド・パイク演じる悪女エイミーがニックを憎悪しながらもその作り笑いに執着し、ニックもまた彼女を畏れながらも支配される環境を自分の場所として受け入れる。
[スポンサーリンク]