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名前をなくした女神

4.5
尾野真千子(名前をなくした女神) ドラマ
尾野真千子(名前をなくした女神)
名前をなくした女神は、フジテレビ系列で2011年4月12日~6月21日、毎週火曜日21:00-21:54に放送。子どもの小学校受験を控えたママ友達の間で繰り広げられる、嫉妬、見栄、嘘、裏切り、騙し合いなど、複雑な人間関係を描く。キャッチコピーは「ようこそ、ママ友地獄へ。」脚本は『泣かないと決めた日』の渡辺千穂であり、キャストも杏、木村佳乃、五十嵐隼士など出演者も多く重複している。

名前をなくした女神のあらすじと感想

ようこそ、ママ友地獄へ|純粋なサスペンスとして期待

社会現象を極端な形で表現して視聴者をオドかすのは連続テレビドラマの常道で、さらにいえば、オドかすことによって、その社会現象をイメージとして広く定着させるというマッチポンプな役割も果たしている。
「不倫」にせよ、「セレブ」にせよ、「DQN」にせよ、「イジメ」にせよ、流行事象の多くはそうした歪みによって作り上げられたイメージだが、そのイメージにもとづいて動くマスな層が存在するのだから(存在しないことすらある)、えてして、イメージはイメージでなくなるのである。

「ママ友」は「お受験」「公園デビュー」とともに好まれるモチーフだが、ミムラのひたむきさが感動的だった「斉藤さん」(2008年冬ドラマ)以来、あまりとりあげられなかった背景には、急速な少子化の影響があるだろう。
そればかりか、社会情勢はいっそう厳しいものになっており(冒頭で、やり手であったはずのはあっさりとリストラされている)、本作に登場する夫(30代正社員で妻子持ち、自宅は自己所有)は、全員、多くの人にとって現実味がないほどの“勝ち組”といえる。

倉科カナとその夫・五十嵐隼士は高校中退のDQN夫婦という設定だが、トラック運転手である五十嵐が、駐車場まで7駅も電車で“通勤”しなくてはならないとはいえ、“セレブ”そのものである木村佳乃と同じ億ションの低層階(ワンルームとはいえ、5千万はくだらないはずだ)に住み、結婚して娘と3人暮らしを享受できるのは、途方もない成功者なのではないだろうか。
テレビドラマを作ることには、今や、従来通りの世界を無自覚に描いただけで、反動的なまでにズレてしまうという困難さがあるように思う。

したがって、こうした設定はしょせん荒唐無稽なものに過ぎない。
公園に佇む子供とその母親たちを高いところから見下ろして、実はそこにあるのは平和な幸せなどではなく、嫉妬や見栄、嘘、裏切りが横行する“地獄”なのだとオドかすのは、一見、扇動的なやり口のように見えるが、じつはこのドラマは単純なサスペンスである。

ここで毎週展開されるのは、入り組んだ人間関係を背景に毎週発生する事件の黒幕を探すゲームになるだろう。
たとえば安達祐実を自殺に追い込んだのは誰か。
「ひまわりの子幼稚園【くもぐみ】保護者と園児リスト」を作成しているのは誰か。
そして初回冒頭で子供の手を引いていた女は誰か。
わたしの予想では黒幕はもちろん、りょうである。

サスペンス好きとしては、見逃せないドラマになりそうである。

身も凍る再会|不幸属性の尾野真千子

安達祐実は死んでいなかった!
昏睡状態ということなので、クライマックスか最終回で意識を取り戻し、それがストーリーの舵を切るきっかけになるのかと予想したが、安達の夫は妻子を連れて引っ越すことにしたと話していた。
この夫は安達が自殺した理由を知っている口ぶりだったが、はそこに気づかずスルーしてしまったので、ひどくもどかしかった。
やっぱり、クライマックスで完治した安達が戻ってきて杏を救うのかもしれない。

第2話では、尾野真千子を中心に、それぞれの家庭の問題が描写された。
家庭と言っても、ぶっちゃけ、夫との関係である。
感心したのは、尾野真千子が夫・高橋一生DVに苦しんでいるという設定。その実態は巧妙で、身体的な暴力をともなうのではなく、言葉と態度で徹底的に妻を管理しようとする、発見されにくいタイプのDVである。
発見されにくいということは社会問題として表面化しにくいということで、テレビドラマで扱うことにはいささかの決断を要しただろう。
朝ママに渡した10枚の100円玉が夜4枚になっているのはなぜだろうね、と、初回でもこの夫は聞えよがしに子供に聞いていて(尾野が使った600円は、ママ友の集まりの会費である。杏を誘いながら、600円かかるけどいいかと尾野は念を押していた)、銀行員のくせにずいぶんせこい男だと思ったが、妻の財布のレシートなどを管理しようとするのは典型的なDVの1タイプである上に、通勤途中のバスの中で女子高生に痴漢を働く歪んだ性癖をもっている。
正直、痴漢のくだりは要らないんじゃないの、と思ったが…

また、尾野は最初から杏のことを知っていたことが明らかにされた。
初回で「会いたかった人に会えた」と息子に語っていたのはそういう意味で、これが今回のタイトルにもなっている「身も凍る再会」というやつである(いささか大袈裟にオドカシ過ぎだと思うが…)。
転校が多かった尾野は、かつて杏と同級生だったことがあった。いじめに遭っているところを救われた尾野は、杏を“心の友”と信じていたのだった。杏の携帯番号を「侑ちゃん」で登録している尾野は、最大限の期待をもって「ちひろよ!」と呼びかけるのだが、当然、杏は、いなくなってしまった転校生のことなど覚えていないのだった。
このへんの残酷さは形式的でリアリティがないのだが、尾野の激しい眼の動きによる演技と、それを追う細かいカメラワークで、スリル満点に表現されている。

ドラマは、「ひまわりの子幼稚園【くもぐみ】保護者と園児リスト」の作成者が尾野であることを早くも割ってしまった。最も不幸なママである尾野は、現時点で最も怪しい人物になったが、もちろん、これはミスリードなのであろう。

一方、倉科カナは、夫と自分が高校を中退していることにコンプレックスがあり(おそらくは子供ができたので結婚したという設定なのだろう)、東郷チャイルドスクールのアンケートで、思わず夫の学歴欄に「東大卒」と書いてしまう(自分の学歴を詐称しようとは思わないのが哀しい)。
すぐばれる嘘を書いて「フフフ…」と悦に入ったりしているのが浅はかで哀れなのだが、五十嵐隼士自身には学歴コンプレックスはない様子であるものの、こうした感情は、実際、経験したことのない者には信じられないほど激しいものだ。
浅はかな倉科はお受験を諦め、娘をチャイドルにしようと思いつく。何も知らない杏はその後もしつこく倉科を誘うので、倉科のはらわたは煮えくりかえるという寸法である。

りょうの夫は、いい歳をして、なんとモデルらしい。歳上の妻に収入があるのをいいことに、未だに若い娘と遊んでおり、40歳の誕生日を迎え、女としての自分が揺らぎはじめているりょうは、そのことに気づいているが、他人や子供たちの前では気さくな笑顔を崩さない。

木村佳乃と夫との関係は、今回は描写されなかったが、幼稚園のお受験に失敗したことを猛烈に恥じる木村は、娘にもそれを強要する。ママの喜ぶ顔を見たい娘(小林星蘭)はそれを受け入れるのだが、この娘がいつ壊れるかということが、ドラマの筋書きに影響してくるだろう。

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