ヒッチ・ハイク 溺れる箱舟の感想
この週見た「ヒッチ・ハイク 溺れる箱舟」はかったるい映画で、見ていていらいらしてしまい、DVD特典のインタビューでは、展開を読めぬ状況が面白いと思ったと監督は語っているのだが、実際には本気かと思うほど「ベタな」展開で、思わず、ロードムービーとは低予算映画の同義ではないだろうとか、移動感の欠如したこの映画のどこがロードムービーなのかと悪態をつきたくなる。
健康ランドのような空疎な新千歳空港のロビーで寺島進がノートPCを開き、やってきた竹内ゆう紀と車に乗り込み、小沢和義を拾って国道沿いの食堂でカレーライスを食べるあたりまではまだいいのだが、映画が不意に退屈になるのはその直後で、預金を解約するモンタージュに続く展開があまりに平板で緊張感に欠けるので、もしや銀行のシーンをを起点とする夢の話(「マルホランドドライブ」のような!)なのかと勘繰ってしまったが、もっとも、この映画は(監督が「想を得た」と認めるとおり)、フランコ・ネロとコリンヌ・クレリーの倦怠期夫婦がデヴィッド・ロスのヒッチハイカーを乗せる「ヒッチハイク」の変奏に過ぎないのだから、そんな深読みも無用なのだ。
拘束によって閉鎖された車内と、車外の無辺な北海道の描写がコントラストをなしているとは言い難く、かつてバイク乗りの知人は自動車を運転しない理由として、「逃げ場がないような感じがする」と述べていたものだが、外れないセーフティベルトの描写まであるにもかかわらず、犬のように拘束に従順な状況(未見だが横井健司のは「飼育の部屋」の人である)が、そのまま、映画から閉鎖感を希薄にしているのはまことに芸がないことと感じられ、例外はカーセックスのシーンで、二度にわたるこの場面(一度目と二度目を見比べさせようというのだろう)は比較的よくできていた、しかし、もちろん、伝説的なレイプシーンのある映画として知られる「ヒッチハイク」のコリンヌ・クレリーに見劣りしてしまうことは否めない。
ヒッチ・ハイク 溺れる箱舟のあらすじ
北海道、新千歳空港。保険会社に勤務する姿俊夫は支社長として北海道で単身赴任をしている中年男。この日、彼の若い妻・麗子が半年ぶりにやって来る。久しぶりの再会にも、2人の間に喜びの雰囲気は見られない。それもそのはずで、俊夫はこの地で愛人をつくっており、麗子もそのことに疑いを抱いているのだった。重い空気のまま車に乗り込む2人。俊夫の車が広々とした道を進む中、突然ひとりの男が飛び出してくる。俊夫は、車が故障したというその男を乗せ、再び走り出す。

