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インサイド

4.0
エリザ・シュタイク(インサイド) 映画
エリザ・シュタイク(インサイド)
インサイドは、脚本をベン・ホプキンスが手掛け、ヴァシリス・カツピスが長編映画監督デビュー作として監督を務めた2023年のサイコスリラー映画。 高級ペントハウスに閉じ込められた美術品泥棒(ウィレム・デフォー)が徐々に現実感を失っていく。2023年2月20日に第73回ベルリン国際映画祭でワールドプレミア上映。

インサイドの感想

おおよそのあらまし

ウィレム・デフォーは高級美術品専門の窃盗犯で、(映像描写はないが)ヘリコプターで降下して建物の外からNYの高級アパートのペントハウスに侵入する。手際よく美術品を壁から外していくが、目的の獲物であるエゴン・シーレの自画像はなぜか発見できない。仕方なく、仲間がトランシーバーで指示したアクティベートIDをセキュリティシステムに入力して部屋を出ようとするのだが、システムは誤作動し、部屋から出ることができなくなる。

始まって10分ほどでこの状態になり、以降はこの豪華すぎる部屋での孤独な脱出劇になる。

まず、頭に来てシステムのリモコンを壊したせいか、空調の制御ができなくなり、室温が最大41℃まで上がる。さらに電気も水道も止まってしまった。ただし冷蔵庫は作動しており、庫内のトリュフソースやキャヴィアや、室内植物用のスプリンクラーの水でデフォーは生き延びる(このくだりは、この後で出てくるウィリアム・ブレイクの「The road of excess leads to the palace of wisdom.」[過剰の道を行く者のみが、知恵の宮殿に至る」に相当する)。

廊下への扉は鋼鉄入りで絶対に開かず、巨大な窓ガラス(NYの素晴らしい夜景を楽しめる)も絶対に割れることはないので、唯一の脱出口は高さ10メートルはあろうかという天窓しかないとデフォーは考え、工具なし、手持ちのナイフ一本で高級家具を積み上げていき、それが次第に芸術の様相を帯びていく。いわば破壊と創造が同時に進む不思議な連動が起こっていく。

蒐集された美術品が意味するもの

美術監修したイタリアのキュレーターによれば、この映画にはマウリツィオ・カテラン、リュック・タイマンス、ジョアンナ・ピオトロフスカ、フランチェスコ・クレメンテなど39の作品が登場する。次第に衰弱し、正気を失っていくデフォーは、その中から3枚の絵(シーレ、あと2枚は顔の見えない背面の女の絵、やはり顔の見えない男の絵)を残すことにして、他の美術品は天窓を目指すタワーと、希望を託す祭壇などに使ってしまう。

デフォーが陥った状況を暗示するような作品(ダクトテープで壁に磔にされた男の絵や、人を満載しているが飛行機の姿がないタラップ車の写真など)、部屋の持ち主(カザフスタンに出張中であると説明される)と娘、犬が映っている写真作品などからは、映画に「停止」や「宙吊り」などの意味をもたらす。上述のキュレーターによれば、「抽象芸術への関心と強い政治的テーマを融合させ、洗練させたもの」というのが、部屋の主の蒐集テーマとされている。

さらに、部屋を探検したデフォーは、隠し通路の向こうに探していたシーレの自画像と、9枚しか現存しないと言われるウィリアム・ブレイクの「天国と地獄の結婚」(The Marriage of Heaven and Hell)の複製を発見することになる。

ウィリアム・ブレイクの「天国と地獄の結婚」とは

本作は、1790~93年頃、当時の宗教的・道徳的価値観を批判し、霊的世界観を表現したブレイクの銅版手彩本で、文字と絵が一体化し、宗教的幻視や幻想的世界観が表現されている。

「天国」と「地獄」という対立した概念を逆説的に結びつけることにより、当時のキリスト教的世界観における善=天国(理性・秩序・従順)と悪=地獄(欲望・エネルギー・反逆)を、「善は受動的な理性、悪は活動的なエネルギー」と再定義され、両者は対立すべきものではなく、結婚=結合こそが人間の生を豊かにするものと書かれている。絵画的イメージも「火」「流動」「融合」など、エネルギーと対立が統合され、そこに、従来の秩序や宗教的抑圧の象徴、悪魔=創造的エネルギーの象徴として天使が現れる。

ブレイク自身が天使や悪魔と会話する形式で、道徳的価値観が相対化され、特に有名な一節「地獄の格言(Proverbs of Hell)」には、「過剰な道を行く者のみが知恵の宮殿に到達する」といった逆説的・挑発的な格言が並んでおり、欲望やエネルギーを肯定し、行動と創造が推奨される。宗教的枠組みを超えた「霊的な解放宣言」と言える。

異端的・過激とみなされた作品であるが、文学・思想に大きな影響を与え、特に19世紀末の象徴主義や20世紀のシュルレアリスムにおける先駆的なテキストとされた。ギンズバーグなども愛読した。

『天国と地獄の結婚』とデフォーの芸術創造

映画に引用されるフレーズは、『天国と地獄の結婚』の根本的な思想を示すものである。

Man has no body distinct from his soul.
Energy is the only life, and is from the body.
Energy is Eternal Delight.

「人間に肉体と精神は分かれた存在ではない」とは、身体性を抑圧する伝統的宗教観や二元論への挑戦であり、魂も身体も統一された存在であり、その統合こそが人間の真の全体性を成すということで、肉体から発せられる命そのもののエネルギーを抑え込まずに解放することこそ、至福(Eternal Delight)への道だと説かれる(エネルギー=生命=快楽)。

さらに、「地獄の格言」から「Without contraries is no progression」(対立なきところに進歩なし)というフレーズも引用されるが、これは、善と悪、理性と情念、天国と地獄といった対立が創造的・精神的な成長には欠かせないもので、生命のダイナミズムだということで、極限状態において身体と精神の崩壊から、「創造」と「破壊」による再生につながっていく(壊しながら壁に絵を描き、自らのアートを残す)。対立による進歩、破壊を経て新たに生まれかわるのである。

食料も水も尽き、衰弱の中でデフォーが壁に絵を描き続けるシーンには「Man has no body distinct from his soul.」(人間の魂は身体と切り離せない)というフレーズが引用され、肉体が限界にあるからこそ精神がむき出しになり、肉体の痛みや飢えそのものが“魂の表現”となってキャンバスに刻まれていく。また「Without contraries is no progression.」(対立がなければ進歩はない)というフレーズは、この豪華で静謐な空間(天国)と、監禁・飢餓・破壊(地獄)の共存の中でデフォーの芸術(進歩)が生まれる、まさに「天国と地獄の結婚」が現出することになる。

高級家具を積み上げて天窓へのタワーを築く行為は、「Energy is the only life, and is from the body. Energy is Eternal Delight.」(エネルギー=命)、つまり生き延びるための行為がサバイバルを超えて「創造」へと転化することを意味する。デフォーの全身的エネルギーが“永遠の喜び”の瞬間に到達するのである。タワーは単なる脱出装置ではなく、宗教的な「祭壇」「天への梯子」のようでもある。「破壊と創造の統合」、「肉体的行為から精神的超越へ」が視覚的に実現する。
その過程で、デフォーは墜落して脚に怪我を負う。これは神の使いと格闘して脚を負傷する旧約聖書のヤコブを思わせ、上昇=超越を阻む制約(精神は天へ向かおうとするが、肉体は地に縛られている)の表現である(「対立なきところに進歩なし」に直結)。脚を引きずりながら絵を描き、タワーを築き続ける姿は、ブレイク自身を表す「殉教的な芸術家像」(エネルギーは永遠の喜び)そのもののように見える。脚の怪我は、肉体的限界が超越を阻むと同時に、創作を殉教的行為に変える装置なのだ。

掃除婦ジャスミンの意味

部屋には、このアパートの主要施設をモニターするTVが設置されており、デフォーはそこに映る女性清掃員(エリカ・シュタイクという聞いたこともない女優が演じる)をジャスミンと名付け、孤独を紛らわすよすがとする。
ジャスミンは外の世界から室内にアクセスできる数少ない存在だが、デフォーの声は扉の向こう側には決して届かない。救いがすぐそばにあるのに届かない、つまり「救済を約束しない救済者」なのだ。
「芸術家/創造者」として創造に傾倒せざるを得ないデフォーは、しかし豪奢な牢獄につながれた囚人だが、労働者階級のジャスミンもまた、ペントハウスの清掃という富の象徴に関わりながらも、その恩恵にはあずかれない存在である。ともに富の世界を支えるが、そこに救済はないという社会的メタファーでもあるだろう。

インサイドのあらすじ

高級美術品泥棒のニモ(ウィレム・デフォー)は、ニューヨークの最新鋭ペントハウスに侵入するも、システムエラーで閉じ込められる。水や食料が尽きる中、ネモは生存のためにペントハウス内の高価なアート作品を破壊・解体し、脱出道具を作る。孤独と絶望に苛まれ、精神状態が悪化していく様子が描かれる。最後には、天窓に届くほどの塔を作り上げるまでに至る。

インサイドを観るには?

インサイド キャスト

インサイド 作品情報

監督 – ヴァシリス・カツピス
脚本 – ベン・ホプキンス
制作 – ギオルゴス・カルナヴァス、マルコス・カンティス、ドリス・フリポ
撮影 – スティーブ・アニス
編集 – ランビス・ハラランビディス
音楽 – フレデリック・ファン・デ・ムールテル
制作 – ヘルティック、シワゴ・フィルム、プライベートビュー
上映時間 – 105分
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