ヴィジットの感想
「スプリット」の後に「ミスターガラス」に行く前に、遡ってこちらを。
10年代をずっと低迷し続けたシャマランがようやく復帰したと言われた映画である。
映画は最初から最後までヒロインのオリヴィア・デヨングと弟が撮影した映像で成り立っている(という設定)。
注目すべきは、脚本通りに順撮りだったとシャマランが語っていることだろう。
もっとも映像はアングルなどが手持ちっぽいだけで照明や色彩の設計はちゃんとプロのものになっている。
「偶然映っていた」という演出へのこだわりは随所にある。
自主映画出身のシャマランとしては、原点回帰して出直したということだろう。
ただのホラーではなく、主人公と母親の心理的な傷の回復物語に仕立ててある。
度肝を抜く偽祖母はブロードウェイのトニー賞女優とのこと。序盤で予告されていたのだが、クライマックスの劇伴が大きなカタルシスを生んでいる。
ヴィジットの見どころ
『シックス・センス』の後、『レディ・イン・ザ・ウォーター』や『アフター・アース』といった大作で評価を落とし、才能の枯渇が囁かれる中、突如として投下されたのが、低予算ホラーの本作である。シャマランが私財を投じて制作した起死回生の一作と言える。自らの作家性を取り戻すためのリハビリと言える。この作品が成功しなければ、傑作『スプリット』の誕生もなかっただろう。
「低予算」な恐怖と笑い
巨大な予算とスター俳優という呪縛から自らを解き放ったシャマランは、インディーズ映画の精神に立ち返り、最も得意とする「限られた空間で、アイデアと演出で観客を怖がらせる」という原点に回帰した。
本作は単なるホラーではなく、姉弟の軽妙なやりとり、特に弟タイラーの即興ラップなどが笑いをもたらす。このユーモアが巧みな罠となり、祖父母の常軌を逸した行動がナイフのように突き刺さるという緩急自在な演出が、シャマランの面目躍如たるところだ。楽しいホームビデオが悪夢に変わっていくグラデーション。
夜中に全裸で壁を引っ掻く祖母、口の中にショットガンの銃口を突っ込む祖父。
本作の恐怖は、幽霊やモンスターといった超常的なものではなく、「老い」や「病」がもたらす理解不能な行動という現実的なものである。
特に、祖母が這いずり回るシーンや、暗闇の中から猛スピードで突進してくるシーンの迫力は、低予算ならではの純粋な恐怖に満ちている。
ファウンド・フッテージを批評的に使いこなす、語りの妙
本作は姉弟が撮影した映像で構成される「ファウンド・フッテージ」形式。使い古された手法だが、シャマランはそれを逆手に取り、物語の必然性と結びつけた。
姉のベッカは映画監督を夢見る少女であり、彼女にとってこの撮影は「作品作り」。恐怖の渦中にあってもカメラを回し続けるという説得力がある。
「ミザンセーヌ(Mise-en-scène)」といった映画用語を口にしており、ファウンド・フッテージというジャンルを批評的に見ていることが示される。カメラというフィルターを通して異常な現実を捉えようとする姉弟の姿が没入感を生み出す。
シンプルかつ破壊力のあるツイスト
シャマランの代名詞でありながら、後年にはマンネリとも揶揄された「どんでん返し」。
物語の終盤で「老いによる奇行」ではなく「狂気による異常行動」であることが判明するツイストは、物語全体に凄まじい悪意をもたらす。全ての伏線を一瞬で回収し、物語のジャンルを変質させる手腕はシャマランの得意とするものと言える。
ヴィジット あらすじ
15歳のベッカと13歳のタイラーは、ほとんど交流のなかった祖父母に招待され、ペンシルベニアの家で過ごすことに。しかし、祖父母の異常な行動が目立ち始め、夜には嘔吐する祖母や全裸で壁を引っ掻く姿を目撃。祖父も失禁症を隠すなど不審な行動が続く。2人は夜中の様子を隠し撮りし、祖母が包丁を持って迫る姿を記録。母に助けを求めたところ、祖父母が偽物だと判明。地下室で本物の祖父母の遺体と精神病院の患者服を発見。偽物の祖父母は2人を閉じ込めようとするが、ベッカは祖母を撃退し、タイラーは祖父を攻撃。2人は無事脱出され、警察と母親に保護される。
ヴィジットを観るには?
ヴィジット キャスト
ヴィジット 作品情報
製作 – ジェイソン・ブラム、マーク・ビエンストック、M・ナイト・シャマラン
製作総指揮 – スティーヴン・シュナイダー、アシュウィン・ラジャン
音楽 – スーザン・ジェイコブス
撮影 – マリス・アルベルティ(英語版)
編集 – ルーク・シアオキ
製作会社 – ブライディング・エッジ・ピクチャーズ、ブラムハウス・プロダクションズ、電通
配給 – アメリカ ユニバーサル・ピクチャーズ、日本 東宝東和
公開 – アイルランド 2015年8月30日(ダブリン)、アメリカ 2015年9月11日、日本 2015年10月23日
上映時間 – 94分

