2010年代の映画

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THE GUILY / ギルティ

画面に映らないイメージが電話の向こうのかすかな音だけで脳内に展開する、安楽椅子探偵風の趣向になっている。観ていて思わず身を乗り出すみごとな演出だ。
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search/サーチ

冒頭のカレンダーに、一瞬、「ヴィック(Vic)とのお下がり交換会」の予定という重大な伏線が映り込んでいる。ヴィックと亡妻マーゴットには面識があったのだ。
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ジャックは一体何をした?

1930〜50年代のB級犯罪映画のテンプレとも言える台詞が大量に混入しており、リンチはそれらを記号の「抜け殻」として配置している。刑事もジャックも映画の中の人物を演じ続けているのだ。
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2011年の映画

ファイナル・デッドブリッジ

「観たと思うけど?」と思いつつチェックしたら未見だった。いや観たかもしれないのだが、「デッドブラッド」を観た今となってはどちらでもいいような出来だった。
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007 スペクター

「スカイフォール」に及びもつかぬとっ散らかった映画だった。スペクターとプロフェルドの権利をMGMが買い戻したものの、うまく復活させられず、まるでマーベルユニバースみたいになってしまった。
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ミッシング・デイ

シカゴの夫婦がハイチ地震の孤児ニーナを引き取りにプエルトリコに来る。翌朝ニーナが誘拐され、夫婦は養子縁組が詐欺だと知り唖然となるところまでが映画として面白い。これ以降はすべて蛇足の展開。
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ゴーン・ガール

共依存と支配の物語。ロザムンド・パイク演じる悪女エイミーがニックを憎悪しながらもその作り笑いに執着し、ニックもまた彼女を畏れながらも支配される環境を自分の場所として受け入れる。
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グランド・イリュージョン

これは面白いはず、と思って観始めて、実際、途中までは面白く観ていたのだが、本作はかなり宙吊りの状態で終わる映画である。
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15時17分、パリ行き

元来イーストウッドは俳優への演技指導に関心がないと言われる。俳優を起用せずにここまでのものを撮れることに驚くべきではないのか。伏線皆無の細かな事実の積み重ねによる緊迫感!
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007 スカイフォール

シルヴァのMに対する想いは複雑怪奇に屈折しまくっており、結局、彼とボンドは母なるMを抱く兄弟なのだ(MはMで、スコットランドの自然を前にボンドの母親であるかのような台詞を吐く)。
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すべての終わり

無駄なエピソードが多く、駄作の誹りを免れえないだろう。死に際にトムがウィルを認めるくだりなども埋没している。余計な部分を削ぎ落としていくと、ほとんど何も残らない映画である。
2010年の映画

インセプション

2時間42分という上映時間内で「この映画だけの複雑な虚構内ルールを理解する」というミッションを観る者に与える映画である。最初から最後まで、全編ルールの説明に次ぐ説明に終始しているのだ。
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最終兵器ムスダン

肝心の怪物はラスト15分まで映らないのだが、ショッカーの怪人並みで明らかに低予算。火薬を使って怪物を爆死させる作戦がクライマックスの流れもいかにもヘボい。
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白頭山大噴火

米軍が北朝鮮から接収した核弾頭を奪取するあたりから、話がぶっとび、裏切りと逃亡、戦闘が繰り広げられ、米軍、北朝鮮軍、中国マフィアが入り乱れて大混乱。ノンストップで進む筋運びは見事のひとこと。
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ジョナサン -ふたつの顔の男-

興味深いのは、本作の舞台がニューヨークでありながら、ジョナサンの主観ではまるで違う街のように見えることだ。
2010年の映画

悪魔を見た

「悪魔」とは言うまでもなくミンスクのことだが、ビョンホンもまた悪魔に堕ち、そのヴィランぶりにスッキリしていた観客もまた悪魔になっていく仕掛け。ミンスクとビョンホンを北と南に重ねる向きもあるらしい。
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(r)adius ラディウス

秀逸なアイディア一発の低予算映画。プロットもシンプルきわまりなく、「主人公たちの能力はどこからきたのか」「彼らがなくした記憶とは何か」という二つのポイントしかない。
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アス

ラストには予想のつくどんでん返しがあり、単純なハッピーエンドではない。なんでも物欲で生活をハッピーにするスノッブぶりがほほえましいヒロインの夫が、最後まで頼りないのがいい。
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ゲット・アウト

久しぶりにコワい映画を観た。オチは今ひとつだが、そこに至るまでのじわじわはかなりマニアックである。
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勝手にふるえてろ

「勝手にふるえてろ」の感想と評価・独自の考察を交え、キャストや配信情報を徹底レビュー。
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