アカルイミライ

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『アカルイミライ』は、2003年公開の黒沢清監督・脚本による日本映画。

『アカルイミライ』ってどんな映画?

退屈で不条理な日常のなかに突如として現れる、あまりにも鮮烈で美しい「世界の終わり」の予兆。触れる者すべてを無差別に刺し貫く有毒のアカクラゲを媒介に、行き場のない若者たちの苛立ちと、静かに崩壊へと向かう都市の風景を描き出す。黒沢清が監督・脚本を務め、蓮実重臣らのユニット「パシフィック231」による不穏で叙情的な音楽がスクリーンを支配。生と死の境界線がじわじわと曖昧になっていく、不条理にしてどこか美しい独自の空気感をあぶり出した、ゼロ年代日本映画の伝説的傑作。

見どころは、守( 浅野忠信)の父親である有田真一郎(藤竜也)と雄二(オダギリジョー)が出会い、すれ違いながらも歪んだ疑似家族のような関係を築いていく展開だ。真一郎の経営するリサイクルショップの社長や、周囲の人間たちが何気ない日常を生きる中、東京の地下水路では、放たれたアカクラゲが恐るべき適応力で異常繁殖を始めていた。
やがて雄二は、自分と同じように未来への希望を持てない、Tシャツ姿の謎めいた少年グループたちと共鳴。都市の死角で世界がゆっくりと、しかし確実に嘘のように変貌していくパニックの予兆を目撃する。
大人たちが押し付ける「暗い現実」に背を向け、牙を抜かれた従順な操り人形で居続けるか。それとも、猛毒のクラゲのように誰も予測できない牙を剥き、あらかじめ失われた「アカルイミライ」に向かって命懸けで疾走するか。
オダギリジョーと浅野忠信、そして圧倒的な存在感を放つ藤竜也の剥き出しの意志が火花を散らす、黒沢清監督の最高峰に位置する世紀のヒューマンドラマだ。

あらすじ

東京のお荷物的なリサイクル工場で働き、常に何かに苛立っている不器用な青年・仁村雄二(オダギリジョー)。彼の唯一の理解者は、同じ職場で働き、自宅の水槽で凶暴な有毒アカクラゲを飼育している兄貴分の有田守(浅野忠信)だった。守はクラゲを真水に慣らすという奇妙な実験を続けていたが、ある日、二人の身勝手な上司である藤原(笹野高史)とその妻冴子(白石マル美)を巻き込む、あまりにも突発的で冷酷な殺害事件を起こして逮捕されてしまう。激しい焦燥のなか、面会に訪れた雄二へ守が遺した「行け」という謎の言葉。その後、守は自ら命を絶ち、残されたクラゲは東京の濁った川へと放たれてしまう。

キャスト

仁村雄二 - オダギリジョー
有田守 - 浅野忠信
有田真一郎 - 藤竜也
藤原耕太 - 笹野高史
藤原冴子 - 白石マル美
軽部 - りょう
有田冬樹 - 加瀬亮
美穂 - 小山田サユリ
高木ケン - はなわ
森 - 森下能幸
リサイクル店社長 - 佐藤佐吉
弁当屋の客 - 三島ゆたか
ジュン - 松山ケンイチ
誠 - ユージ(永井有司)

感想

もう20年近く前か、隅田川に浮かんでいるクラゲを橋の上から眺めたことがある。ずいぶんたくさん浮いていたように思うが、あれは水天宮だったか、浜町のあたりだったか、淡水に死んだクラゲだったのか。

川をゆくクラゲの群れ(ロケ地は埼玉か)を追って河口に向かう浅野忠信の父(藤竜也)とオダギリ・ジョーを撮る俯瞰のシーン(この映画は俯瞰が多い)は、見る者を解放的な気分に誘う。

浅野は中盤で幽霊になってしまうのだが、それでも重苦しい存在感。
オダギリに向かって浅野は「行け」と「待て」のサインを決める。
「待て」は浅野がオダギリの代わりに勤め先の工場長を殺してしまうまでで、以降、浅野は一方的に「行け」のサインを送り続ける。

ラストの表参道の長回しは奇妙で、宙に吊られている。チェ・ゲバラのTシャツを着ているのはスタイリストのアイディアだそうだ。

全編ハイビジョンで撮られた画面は色調が抑えられ、そのぶん、クラゲの発光が鮮やかである。

『アカルイミライ』を観るには?

『アカルイミライ』作品情報

監督 – 黒沢清
脚本 – 黒沢清
製作 – 浅井隆、野下はるみ、岩瀬貞行
音楽 – パシフィック231(蓮実重臣、三宅剛正)
撮影 – 柴主高秀
編集 – 黒沢清
配給 – アップリンク
公開 – 日本:2003年1月18日、フランス:2003年12月3日
上映時間 – 115分(オリジナルバージョン)、92分(海外バージョン)

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