人は見た目じゃないと思ってた。の感想
タイトルからして桐谷美玲の「人は見た目が100パーセント」(2017年)を思い起こさせる。確信犯でもあろう。
つまり、約9年の時を経て「見た目(ルッキズム)」に対する価値観がどのように変化したのかということが、ここでは描かれている。
| 2017年: 人は見た目が100パーセント |
2026年: 人は見た目じゃないと思ってた。 |
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|---|---|---|
| 主人公 | 「女子モドキ」のリケジョ (桐谷美玲) |
「中身重視」の野球男子 (菅生新樹) |
| 舞台 | 製紙会社の研究室 → 化粧品会社 | スポーツ誌志望 → ファッション誌 |
| 課題 | 「普通の女子」になるための模倣と努力 | 「見た目」を軽視していた価値観の再定義 |
| 女子力、ステキ女子、正解探し | ルッキズム、自己表現、多様性 | |
| 時代の空気 | インスタ映え全盛、モテ・愛され至上主義 | 脱ルッキズム、ありのまま、個性の尊重 |
「人は見た目が100パーセント」には「美の正解」が存在し、それに合わせられないと生きづらいという前提があった。
2017年は「インスタ映え」が流行語大賞になった年であり、キラキラした世界に「同調」することが求められた。主人公たち(桐谷美玲、水川あさみ、ブルゾンちえみ)は「女子モドキ」と自虐し、メイクやファッションを「社会で戦うための武装」や「マナー」として学ぼうとする。
物語の軸は「どうすれば美しくなれるか(How to)」であり、コンプレックスを克服して標準的な美に近づくことがゴールに設定されていた。
本作「人は見た目じゃないと思ってた。」がこれと大きく異なるのは、「ルッキズム(外見至上主義)へのアンチテーゼ」が浸透した後の世界を描いている点である。
主人公の石黒大和(菅生新樹)は「人は中身だ」という正論(ポリコレ)を持っているにもかかわらず、あえてファッション業界という極端な環境(見た目の最前線)に放り込まれることで、「見た目を整えることは、悪なのか? 虚栄なのか?」という問いに直面することに。
つまり、単なる「見た目磨き」ではなく、「中身を伝えるためにこそ、外見というパッケージが重要である」という自己表現としての見た目が問題になっている。
両作を対比させると、価値観がシフトしていることがわかる。
- 「受動」から「能動」へ
2017年:「周りから変に見られないために、流行を取り入れる」(防御としてのファッション)
2026年:「自分の内面を誤解されないために、あるいはより良く伝えるために装う」(翻訳機としてのファッション) - 「女性の義務」から「全人類の課題」へ
女性特有の悩みとして描かれていた「見た目」の問題に、男性主人公がぶつかる。男性美容の一般化や、性別に関わらず「セルフブランディング」が求められるようになったことを表す。 - 「正解への適合」から「解釈の多様性」へ
「ブルゾンちえみ with B」に象徴されるデフォルメされた「イイ女」像から、多様な価値観の中で「自分にとって心地よい見た目とは何か」を模索するプロセスそのものの重視へ
2017年のドラマが「見た目のルールを知らないと損をする」という切迫感(サバイバル)を描いたのに対し、本作は「見た目は中身を裏切らないためのツールである」というポジティブな再評価(コミュニケーション)を描こうとしているように思われる。
人は見た目じゃないと思ってた。のあらすじ
小中高大と、野球一筋で生きてきた主人公・石黒大和(菅生新樹)。イケメンでもオシャレでもない大和は、周りに求められるキャラ一本で勝負してきた。やさしい彼女にも恵まれ、ノリで出版社に合格し順風満帆な人生。しかし、スポーツ誌の編集者になろうと意気込んでいたところ、入社と同時にスポーツ誌が廃刊に。そんな大和が配属されたのは、なんとファッション雑誌だった…!

