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Mother

4.5
芦田愛菜(Mother) ドラマ
芦田愛菜(Mother)
Motherは、2010年4月14日~6月23日に日本テレビ系「水曜ドラマ」枠で放送。主演は松雪泰子。ネグレクトや過剰な母性神話による抑圧をテーマにした社会派サスペンス作品。脚本の坂元裕二による完全オリジナルストーリー書き下ろし作品。

Mother あらすじ(序盤)

鈴原奈緒は、渡り鳥の研究に没頭する30代半ばの女性。大学の研究室閉鎖後、小学校の理科教師となる。一年生の担任として、クラスで浮いた存在の道木怜南と出会う。怜南の身体の痣に気づき、虐待を直感する。最初は傍観していたが、ある事件をきっかけに、怜南を誘拐し母親になることを決意する。

燦然と輝く坂元裕二の名作(Motherの感想)

間違いなく、今春どころか、ここ数年で最も優れたドラマであろう。
松雪泰子は「子ぎつねヘレン」「フラガール」あたりから演技の質が変わったと思うが(「デトロイトメタルシティ」は除く)、つぐみを演じた芦田愛菜の、ほとんどモンスターのようなスゴイ演技ぶり(実は(「特上カバチ!!」にも出ていたらしいのだが、ほとんど印象に残っていない)、“うっかりさん”の田中裕子も、その何気ない登場シーンからスゴかった。高畑淳子も良いね。

やはり脚本の坂元裕二と演出の水田伸生をはじめとするスタッフの力であろう。

主要人物がすべて母か娘だという極端な設定。ピントの浅いキャメラ。練りに練られた演出と脚本。
松雪が逮捕される湯河原の天気雨シーンには息をのんだし、誕生日に訪れたみなとみらいで、“人生でいちばん幸せな一日”を過ごす田中裕子が、観覧車コスモクロックを見て、こちらに倒れてきそうだとつぶやいたのには、唸らされた。

最終回まできちんと保たれた強度と、ドラマの結末に意外性など要らないのだと、割りきったかのような結末の描写に拍手。

Motherの見どころ

『Mother』は、母性という呪縛と救済を描く異色のドラマであった。
本作は単なる誘拐サスペンスでも、感動的な親子ものでもない。坂元裕二は、このドラマで“母性とは何か”という重く、根源的な問いを突きつけている。

鈴原奈緒(松雪泰子)は、虐待される少女・怜南(芦田愛菜)を「一時的にでも守る」ために連れ去り、逃避行に出る。普通のドラマならここで“正義の母親像”を描くはずだが、坂元は、奈緒もまた「母になりきれない女性」として苦悩する姿を描いた。

このドラマにはさまざまな母が登場する。
奈緒自身の母・藤子(田中裕子)は、過去に娘を捨てた“母性の欠如”の象徴である。怜南の実母・葉菜(尾野真千子)は、DVの連鎖の中で育ち、娘に手を上げてしまう“壊れた母性”である。
この二人の“母の不在”の連鎖が、奈緒と怜南の関係に緊張感を与える。
何より強烈なのは、奈緒と藤子の再会シーンである。
藤子は奈緒に「あなたは母親になんてならないほうがいい」と突き放しつつ、最後には娘をかばい「私が殺しました」と自首。母性の愛憎、自己犠牲、呪縛のすべてが凝縮されている。

このドラマを名作にしたのは、芦田愛菜(当時5歳)の鬼気迫る演技である。
怜南の「だいじょうぶ、だいじょうぶ」という呟きは、幼い子どもが自らを慰める異様な痛々しさであった。松雪泰子は理知的でありながら、不意に母性のようなものが芽生える繊細な演技を疲労した。そして田中裕子、尾野真千子らはそれぞれ“母親像の闇と光”を体現した。
女優たちの演技がドラマ全体の質を一段引き上げている。

坂元の脚本は「逃避行」というミニマルなプロットを中心に、フラッシュバックや緊張感のある会話劇で母性の断片を積み重ねた。演出(監督:水田伸生)は、全体を通じて静かな画面設計を徹底している。雪原を背景にした二人のシルエット。怜南の小さな手が奈緒の指を握るショット。これらが「母性」という目に見えない感情を視覚化した。

『Mother』が画期的なのは、決して「母は聖なる存在」と描かなかったことにある。怜南にとっての“母”は奈緒だけではない。奈緒もまた母性を試され続ける。それでも「母になろうとすること」こそが人間的な営みではないか──という希望をわずかに残してドラマは終わる。

『Mother』は、親子の愛情物語でありながら、その裏に潜む社会の冷酷さ、母性という言葉の重苦しさ、そして人が人を愛することの不確かさを、鋭利な筆致で描いた。
『Mother』は“母性”の神話を破壊し、その破片の中に人間の光と影を見せた。逃避行の果てにあるのは、母娘という幻想か、ささやかな救済か。

人間の深層を抉る台詞

坂元裕二の台詞は、キャラクターの内面を的確にえぐり、母性という観念の光と闇を一文で提示している。それは時に優しく、時に暴力的で、観る者に問いかけを残す。『Mother』の台詞は、母性という言葉に甘美な幻想を抱く視聴者に冷水を浴びせる。だが、その冷たさの中に確かに温かい光がある。

だいじょうぶ、だいじょうぶ。

(怜南が、自宅で母からの暴力を受ける直前、自分に言い聞かせるように呟く。)
怜南/芦田愛菜

映像演出: カメラ固定ショットで怜南の小さな背中を映し、照明は暗く、窓から差し込むわずかな自然光のみ。音は外の生活音が完全に消え、怜南の小さな声と微かな布団の擦れる音だけが響く。
家庭という閉じた空間が“子どもにとっての牢獄”になる瞬間を表現している。音の消失は、暴力の予感と孤独の深さを視聴者に体感させた。
このセリフは、怜南が母親から暴力を受け続ける中で身につけた自己防衛の呪文。まだ5歳の少女が、誰かにではなく、自分自身に向けて「大丈夫」と繰り返す。その痛々しさが視聴者の胸を締め付ける。
この短い言葉に、「幼児期における無力さ」「母に甘えることすら許されない現実」が凝縮されている。坂元裕二が描く子ども像のリアリティが、芦田愛菜の表現力によって極限まで引き出された瞬間だ。

母性なんて、生まれたときから誰にでも備わってるものじゃないの。

(藤子が奈緒に対して、母性をめぐる苦しみを吐露する場面。)
藤子/田中裕子

映像演出: カメラは2人の間にあるテーブル越しのショット。お互いを見ず、視線はずれたまま。色調は冷たいグレーとブルーのトーン。暖色系の光源をあえて排除。編集:会話はワンカットで収め、間合いを長く取る。
視線の交わらなさが、2人の間に流れる「愛と憎の断絶」を視覚化している。坂元の台詞の冷たさが、色彩と間によって倍増している。
このセリフは、奈緒の実母・藤子が言うこの台詞は、母親を“神聖視”する社会への痛烈な反論。彼女自身、娘を捨てた過去を持つからこそのリアリティがある。
ドラマ全体のテーマ「母性とは何か」に対する明確な問題提起である。「女性だから母になれるわけではない」という坂元裕二の視座が反映されており、現実の社会問題(ネグレクト、育児放棄)とも響き合う。

あなたは母親になんてならないほうがいい。

(奈緒が怜南との関係に苦悩する中、藤子が告げる。)
藤子/田中裕子

映像演出: カメラは2人を斜めから捉えるツーショット。テーブルを挟み、藤子の顔は陰影で半分隠されている。照明は、室内は青みがかったグレーのトーン。窓の外の曇天が、感情の冷たさを象徴。編集は、台詞の直前で一拍の間を置く。息づかいすら聴こえるほどの緊張。
奈緒が怜南を連れて逃避行を続ける中、藤子は娘にこう告げる。母性を賛美しがちな社会へのアンチテーゼ。藤子は“愛の欠如”の代償を知るがゆえに、娘に「母になること」を否定する。その冷徹さが逆に深い愛を感じさせる。
一見冷酷な言葉のようだが、これは藤子自身が「母性を持たない母」として苦しんできた人生経験から出た、哀しみを孕んだ忠告であり、母性の“呪縛”を代弁するもの。「母親は子を愛さなければならない」という社会規範が、できない母親をどれほど追い詰めるか。それを一言で射抜いた名台詞と言える。

私はあなたの母親じゃない。でも、お母さんになろうと思う。

(怜南との逃避行の末、奈緒が初めて“母になる覚悟”を告げるクライマックス。)
奈緒/松雪泰子

映像演出: カメラは怜南の目線から見上げる奈緒のアップ。わずかに逆光で輪郭が柔らかく輝く。音は、BGMが消え、奈緒の声だけがクリアに響く。構図:2人の手が自然に触れ合うカットで締める。
クライマックスで奈緒が怜南に告げる言葉。血のつながりがない“母子”が、互いに母と子になろうと決意する瞬間だ。「母になる」という台詞は、光と影の境界で語られることで、“決意の純粋さと不安定さ”が同時に表現される。観客は無音の緊張の中、台詞の一語一語を噛みしめる。
母性は本能ではなく“選択”である──この作品が一貫して問いかけてきたテーマが、この一言に集約された。松雪泰子の抑えた演技が、言葉の重みを際立たせた。

私が殺しました。

(藤子が奈緒を守るため、自らを犠牲にして自首する場面。)
藤子/田中裕子

映像演出: カメラは藤子の顔のアップをロングテイク。表情のわずかな変化まで捉える。色調は暖色の光が差し込み、過去の冷たい色調と対比。音は、一瞬、救急車のサイレンが遠くで鳴るのみ。
藤子が、警察に追い詰められた奈緒をかばい、自分が怜南の実母を殺したと自白する。このロングテイクは藤子の決断の重さと“母であることの痛み”を観る者に突きつける。色彩の暖かさは、彼女が初めて見せた“母のぬくもり”を暗示している。この言葉は、娘のために母が初めて“母親らしい”行動を取った象徴。
この瞬間、母性は血縁や役割を超え、愛する者を守るための選択として提示される。坂元裕二はここで、「母性は不完全であるがゆえに尊い」という逆説を描いた。

Mother 終盤あらすじ

奈緒は継美(怜南)を誘拐した罪で逮捕され、鈴原家はマスコミに囲まれる。家族は奈緒を支える決意をするが、奈緒の頭には継美の心配しかない。継美の母親・仁美が虐待で逮捕され、奈緒の裁判が始まる。継美は奈緒に「もう一度誘拐して」と電話し、奈緒は葛藤する。葉菜の余命を知った奈緒は、葉菜を理髪店に連れて帰る。その頃、室蘭の児童養護施設にいるはずの継美が奈緒の元に現れる。

Motherを観るには?

Motherのキャスト

主要人物
鈴原 奈緒 – 松雪泰子
道木 怜南《鈴原 継美》 – 芦田愛菜
怜南の関係者
道木 仁美 – 尾野真千子
浦上 真人 – 綾野剛
藤吉家
藤吉 駿輔 – 山本耕史
藤吉 健輔 – 田中実
鈴原家
鈴原 芽衣 – 酒井若菜
鈴原 果歩 – 倉科カナ
鈴原 籐子 – 高畑淳子
その他
望月 葉菜 – 田中裕子
野本 桃子 – 高田敏江
木俣 耕平 – 川村陽介
袖川 珠美 – 市川実和子
加山 圭吾 – 音尾琢真
日野 – 長谷川公彦
香田 – 吉田羊
恩田 克子 – 五月晴子
多田 平三 – 髙橋昌也

Motherのスタッフ

Motherのスタッフ

脚本 – 坂元裕二
演出 – 水田伸生長沼誠
音楽 – REMEDIOS
主題歌 – hinaco「泣き顔スマイル」(rhythm zone)
サウンドデザイン – 石井和之
VFXスーパーバイザー – 小田一生
チーフプロデューサー – 田中芳樹
プロデューサー – 次屋尚千葉行利
制作協力 – ケイファクトリー
製作著作 – 日本テレビ
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