けものがれ、俺らの猿と

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『けものがれ、俺らの猿と』は2001年に公開された日本映画。

『けものがれ、俺らの猿と』ってどんな映画?

日常のすぐ隣で口を開ける、圧倒的に不条理でポップな狂気の地獄めぐり。頭のなかで鳴り響く謎のノイズと、次々と目の前に現れる「まともじゃない人間たち」に翻弄され、じわじわと正気を削られていく一人の男の災難を描く。芥川賞作家・町田康の傑作小説を原作に、鬼才須永秀明監督がエッジの効いたスタイリッシュなビジュアルと抜群のスピード感で映画化。2001年の公開当時から現在に至るまでカルト的な熱狂を呼び続ける、シニカルで破壊衝動に満ちた世紀のノンストップ・サイケデリック・ブラックコメディだ。

見どころは、現実と虚構、そして正気と狂気の境界線がガラガラと崩壊していくなかで、孤立無援になっていく佐志の心理描写だ。
狂気の男・田島(鳥肌実)がもたらす予測不能のトラブルと剥き出しの毒気に圧倒され、佐志(永瀬正敏)の精神は限界を迎える。さらに、街の片隅で圧倒的なカリスマ性と危険なオーラを放つ謎の青年(降谷建志)の存在が、佐志の運命をさらに予測不能な濁流へと巻き込んでいく。

押し寄せる理不尽な狂気の前にただ平伏し、飼い慣らされた操り人形として自我を失っていくか。それとも、すべてを失うリスクを背負い、剥き出しの野生を解き放って、この狂った世界そのものを力ずくで引っ繰り返すか。誰も予測できない混沌の果て、世界の終わりと始まりの境界線で、佐志が最後に下すパンキッシュな選択とは。
永瀬正敏の最高の受けの演技と、映画史に刻まれる鳥肌実の狂おしい怪演、そして降谷建志の存在感が奇跡の融合を果たした、観る者の脳髄を直撃する傑作不条理ノワール・スリラーだ。

あらすじ

売れない不遇のシナリオライター・佐志(永瀬正敏)は、執筆中の映画のエンディングがどうしても決まらず、激しい焦燥感のなかにいた。追い詰められた彼の前に現れるのは、あまりにも理不尽な嘘と狂気にまみれた人間ばかり。認知症を患い不可解な行動を繰り返す義父(車だん吉)、佐志の書く世界をじわじわと侵食していく不気味な老人・楮山(小松方正)。極めつけは、佐志の部屋に突如として強引に引っ越してきた、常軌を逸した誇大妄想をまき散らす狂気の男・田島(鳥肌実)だった。彼らの暴走によって、佐志の静かな日常は一瞬にしてパニックの深淵へと引きずり込まれていく。

キャスト

佐志 - 永瀬正敏
楮山 - 小松方正
義父 - 車だん吉
田島 - 鳥肌実
青年 - 降谷建志

感想

イカニモな狂いかた、「実験的」な画面のつくり。ふつうに作ったほうがたぶん面白かった。

町田康の小説(筆者は満員電車で読んで笑いを抑えるのに苦労し、不審の目にさらされた)を「忠実に」映像化したもの。鳥肌実先生(筆者はこの人物を知らなくて、公式サイトを見て絶句した。知らない人に説明できる言葉がない)を見ることができる以外に、面白みは、ほぼ、ない。

小説を原作とし、音と映像を中心にして撮った映画という点で共通点をもつユメノ銀河」の足元にも及ばない(というほど比べる意味は実際ないのだが、続けて見たのである)。これは永瀬正敏浅野忠信の差なのか。それとも小嶺麗奈のせいなのか。いずれにしても、企画段階での戦略的な失敗があるように思うのである。おそらくは、ふつうに撮ったほうがずっと面白かったはずだ。

町蔵が山田詠美桐野夏生と座談会をしているのを見つけた(この、なにか冷や汗が出そうな雰囲気はなんだろう。笑)。

町田  『けものがれ、俺らの猿と』と『きれぎれ』がフランス語に訳されたが、特に初期は語り口だけで書いているところがあり、方言も多く、翻訳は難しいと感じた。翻訳したいという外国人から「ごっついおもろい小説になると思いまんねん」といった手紙をもらうと、根本的に誤解されているのではと不安になる。日本語だと、一見ふざけたような小説に見えても、それだけではないところまで読み取ってもらえるが。

うーん。ふざけたような小説、でもいいじゃんねえ。

『けものがれ、俺らの猿と』を観るには?

『けものがれ、俺らの猿と』作品情報

監督 – 須永秀明
脚本 – 木田紀生久保直樹
音楽 – 會田茂一
撮影 – 北信康
編集 – 須永秀明
製作会社 – 日本ビクター、スペースシャワーネットワーク、パノラマコミュニケーションズ
配給 – メディア・スーツ
公開 – 2001年7月21日
上映時間 – 107分

『けものがれ、俺らの猿と』の原作

友人に頼まれて男に嫌がらせをするはめになっちまった「オレ」と手下の帆一の珍道中。表題作の他に「けものがれ、俺らの猿と」を併録。

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