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ゲゲゲの女房

松下奈緒(ゲゲゲの女房) ドラマ
松下奈緒(ゲゲゲの女房)
ゲゲゲの女房は、NHK連続テレビ小説の82作品目として2010年3月29日~9月25日に放送。全156回。ドラマ撮影期間は2009年11月14日~翌年8月18日。2010年には映画も公開され、原作は10月時点で50万部を突破。2018年には『「その後」のゲゲゲの女房』(ドラマ放送時の反響や、水木が死去した際のエピソードなど)も刊行された。

ゲゲゲの女房の感想

キャストについて

朝ドラ始まって以来という低視聴率から大ヒットにつながったドラマだが、その成功は「見えんけどおる」というテーマが決められた時点で約束されていたのかもしれない。向井理の演技もよかったが、やはり朝ドラだから、松下奈緒が強くアピールされていた。良いドラマの条件は、やっぱり脚本と女優に尽きるのである。

実際、ビンボー編が終わる16週あたりまでは、向井も松下も演技がおぼつかず、境港の母親(イカル)を演じる竹下景子や、松坂慶子風間杜夫の「蒲田行進曲」カップルに演技負けしていた。

ドラマはあくまでもセミフィクションということになっていて、現実そのままではないらしい。アッキーナ演じる河合はるこは誰なのかと思ったが、ドラマオリジナルのようである。

時代性とモデル性

戦争や万博などの昭和史映像が流れるものの、時代性はなめる程度で、あまり深く描かれない。戦争中の描写もあまり切迫感はなく、呑気にしているのは田舎だからか、それとも原作者があまり触れていないからなのか。東京に出てきてからも、安保やらオリンピックやら、いろいろと騒がしい季節のはずなのに、あくまでもそれらは背景のままで、主人公たちの生活に入ってくることはなかった。

このころはドラマよりも現実のほうがずっと面白い時代であり、「ガロ」の作家たち、白土三平やつげ義春との交流が出てこなかったのも残念である。貸本漫画家にはこの二人のほか、小島剛夕やさいとう・たかを、楳図かずお、佐藤まさあき、池上遼一(窪田正孝)などがいた。
水木しげるが受賞したこの頃、つげ義春(斎藤工)もガロ特別号に「ねじ式」を発表して、雌伏していたあらゆる人に影響を与えることになる。とくに佐藤まさあきはさいとう・たかをなどと劇画ブームの急先鋒に立ち、『堕靡泥の星』を発表して「家の中に滝がある」豪邸を立てた。

水木しげるも、気が向くままに自宅を改築した結果、トイレ5つ、風呂場3つ、階段5ヶ所の2階建て、しかも3階がある部分もあるという迷路のような家を作っている。階段5つとはすさまじく、ドラマでもどういう間取りになっているのか、さっぱりわからない。元の仕事部屋を奥まで拡張したと思われるが、新しい台所と居間はどこにできたのか。本作は決まった位置からしか撮らないので、途中まで仕事部屋は2階にあるのかと思っていた。

ドラマでは絵が下手で、消しゴムをかければ原稿をグチャグチャにしてしまう柄本佑(水木プロのアシスタント第一号だった北川和義という人をモデルにしているらしい)は柄本明のジュニアで目つきが父親そっくり。聞き取りにくい発声まで、お父さんと同じである。出身は栃木だというシーンがあり、「光石研は、シベリア帰りの精神的外傷から立ち直ることができずにいるが、そうした戦争の傷跡が急速に薄れていく時代であった。

「悪魔くん」

17週で描かれる通り、たしかに水木しげるの絵は、ほぼ点描に近く、まったく量産に向いていない。そんな絵が実写になるはずかないから、テレビドラマ「悪魔くん」が誕生するのであろう(私個人は、母親となかなか会えない「河童の三平」のほうがテレビドラマの原体験として、忘れがたいのだが。

「悪魔くん」にはビンボの怨念がこめられており、だから少年ランド(少年マガジンのこと9の読者に受けるはずがない、と向井理は言う。鬼太郎が受け入れられた背景には、いや少年マガジンと手塚治虫との確執による劇画路線への舵きりがあったと伝えられる。世は1965年、子供向けテレビ番組はスーパージェッターや宇宙少年ソラン、宇宙エースなど、宇宙ものアニメ全盛なのだが、マガジンは部数で負けているサンデーとは異なる路線を歩んでいくのである。
戌井(梶原善)が出版した貸本版「悪魔くん」(2300部刷って半分以上返本された、と向井理の台詞にあった)が日の目を見るようになったのは、いつ頃のことなのだろうか。 アニメ化され、少年マガジンで連載された「悪魔くん」は、梶原善の依頼で描かれた北宋社(東考社)版とは主人公が異なる。こちらは、70年代になってから少年ジャンプで掲載されることになった。もうひとつの名作、いわゆる「千年王国」版である。

「悪魔くん」アニメ化はドラマ中盤のクライマックスで、放映日には境港から風間杜夫竹下景子が「テレビが壊れたから」と急きょ上京していた。「どげな理屈じゃ」と向井理は言っていたが、大人3人の上京にかかるお金に見合う、テレビジョンの高価さを示しているとも言えるが、実はウソだったことがあとでわかる。 アニメを、しげると布美枝にかかわった人々が、それぞれの場所で固唾をのんで見守る。居候をしていた中森さん(中村靖日、貸本漫画家)が一家で画面を見つめる姿も、ラーメン屋で「静かにしてくれ!」と叫ぶ富田元社長(うじきつよし、兎月書房の社長がモデル)の姿も見えた。「あんたの目に狂いはなかった。あんたの言う通りになった」と声をふるわせて梶原に電話する向井理の演技にグッとこみあげる松下奈緒の顔が良かった。

水木しげるの隻手

さて、水木しげるといえば隻手なのだが、ラバウルでのいきさつを、昭和45年に少年ランド(少年マガジン)に「敗走記」という作品で描くまで(17週)、松下奈緒はその理由を知らないでいた。
味方が全滅し、歩哨であった水木しげるは崖にしがみついて敵の包囲をやりすごし、珊瑚の海底を這いまわり、蚊の大群に襲われ、マラリア熱にうかされながら命からがら帰還するも、敵前逃亡だと上官に謗られてしまう、という不条理を体験する。この高熱に倒れている際に爆撃を受けて、片腕を失ったのだった。

崖にしがみつきながら死を覚悟したとき、その映像が境港の絹代と修平に届き、「しげさんが危ない!」「声を出して呼び戻すんだ!」と夫婦で一晩中しげるの名を呼び続けた、というエピソードには単純な美しさがあった。

1973年に描かれた、ラバウルを舞台にしたもうひとつの読み切り作品がある(発表誌は週刊現代の増刊である「劇画ゲンダイ」)で、タイトルは『総員玉砕せよ! 聖ジョージ岬・哀歌』。読切版の直後に、長編版も単行本で発売されている。
ラバウルでの不条理きわまる「二つの玉砕」を描いたこの漫画はフィクションと実体験がブレンドされた、水木戦記物の頂点と言われており、NHKの「鬼太郎の見た玉砕」(未見)の原作だそうだ。

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