予告編によると、北乃きいは来週折れる予定のようだが、相変わらずドナー候補は上戸彩のままのよう。
今回のラストはどーゆー波紋を呼ぶのかな。
しかし、板谷由夏にしてみたら、ここまで来ると引き受けないと人間じゃないみたいになっているし、ドナーになるなら健吾とケコンしなきゃいけないわけで、北乃きいを助けるためにケコンするのでは、結局、上戸彩の場合と同じことだ。
つまりは、親族でないとドナーになれないというルールが障害になるわけで、やっぱり初回に感じた通り、非常にビミョーな話になってきた。
ところで、修一はこのドラマの最後に、良いお兄ちゃんに改心するのだろうか。
[第7回]|盛り上がりの高さ
やれやれ、どうにかシリツが始まったから、あとはゴロちゃんの動きを背景に、上戸彩の感情がどう振れていくのかという展開だけである。
シリツの甲斐なく…というような展開はよもやないと思う。
あと2回なのか4回なのかわからないが、ここまでくるのはちょっと早すぎたかもしれない、と思うぐらい盛り上がっていないような気がするが、それでよかったのかな。
このぶんだと、最終的な盛り上がりの高さも大体わかってしまうわけだが…
板谷由夏が演じているのはイヤな役だね。
誰もが認める彼女からドナー拒否して一転婚約解消、しかし忘れられないので、ちょっとドナーに名乗り出てみる、という。ドラマの展開をつくるにはちょうど良いが、現実にこういう人はあまりいないだろう。
ま、他のキャラクターだって現実にはいそうもないのだが。
[第8回]|「そうだね」は世界の外から
手術が終わり、目を覚ました上戸彩の傍らに座る竹野内豊。やっと契約完了だね、という上戸の台詞に「そうだね」と答える。
この、「そうだな」でも「ああ」でもなく、「そうだね」であるというところが、このドラマのキモであると思われる。
これはどうも恋愛物というよりブラコンのお話で、上戸と竹之内はキスさえしていない(あれ、結婚するときしたんだっけ?)。
上戸彩は虐げられた妹であり、明らかにブラコンで、竹之内に惹かれるのは、どう考えてもその一点においてである。
上戸にとって竹之内の存在はファンタジーのようなもので、実は実体がない。
その意味で、江ノ島入口のボードウォークで自転車の練習をするふたりの映像は奇妙な感慨を呼び起こす。
病院の「そうだね」は外部から放たれた台詞であって、たとえば、「となりのトトロ」の糸井重里の声と同質のものである。
(もっとも、おそらく来週の最終回では、上戸と竹之内ら、兄妹としてではなく恋愛の成就という形で結ばれるのだろう。ここでは、そういったことは、あくまでも便宜的なものと考えることにする。)
さて、このドラマが見いだした上戸彩の魅力は、ものをおいしそうに食べる、ということであろう。
「やべー」を繰り返しながら不器用に箸を操る上戸の姿は、家庭への飢えを表したりする以前に、とても魅力的であった。これはこれまでの上戸彩ドラマに欠けていたところである。
そんなささやかな戦略の積み重ねが、テレビドラマを、単なるタレントの顔見せ興行から遠ざけるのだと思う。
[第9回]|ここへ来て安心感ある作り
ああ、これも最終回は来週だった、毎度だまされているね。まあどちらにせよ見るわけなので、いいのだけれども。
今回、上戸彩が冒頭でチラリと見せる涙がポイントである。それは竹野内豊に受け止められた喜び、もうひとりでいなくてもいいことの喜びを表すのだろう。
だから、竹野内から手を離された終盤でも、「またあたしをひとりにするのかよ」という台詞とともに、その裏返しの涙が流されるだろう。
上戸彩の役柄は不幸に慣らされてすっかりひねくれている、という設定だから、涙が出たらもうおしまいは近い。
上戸は竹野内を目で追い、しばらくこの家を離れた方がいいなという言葉にビクリとし、目を覚まして竹野内に「どこ?」とメールする。
このすがり方が恋であるかどうかは別として、このへんは上戸ファンの心をきゅうとさせるだろう。
自分のものにならないなら破滅させてやる(そうすれば帰ってくるだろう)、というゴローちゃんはずいぶん複雑な演技をしていて、ポトラッチ的な捨て身で臨む健吾の姿に最終回でどう対するか、が見どころとなるだろう。
前半あれほど空気を支配した北乃きいもすっかり大人しくなり、キャラクターの重みづけや対立の構図が心地よくバランスする、お手本的に安心感のある流れである。
[最終回]|謎の1年間
キスを──と言っても、ほっぺにキスで、最後まで二人の関係は兄妹を超えることがなかった。
稲垣吾郎は上戸彩の通帳を渡すことによって兄としての権利を竹野内豊に譲った。
“棄てられた妹”であった上戸彩は、1年待って、帰ることのできる場所を得た。
ここで1年という時間経過を入れた意味はよくわからなかった。
前回のラストシーンで竹野内豊は警察の前に立っていたが、肝臓移植に関して事件性が認められるには、上戸彩の被害届が必要である。
少なくとも取り調べの過程で上戸が無関係でいられるわけがないのだから、1年もの間、竹野内と上戸が顔を合わせる機会がなかったとは思えない。
スポーツ紙、週刊誌を騒がせた結果、事件は一体どのように決着したのか。
稲垣吾郎の脚ははじめから何ともなかったか、あるいはとっくの昔に完治していた。留守電を聞いた上戸彩が駆けつけたとき、稲垣はどういう状態だったのか。
1年も入院していたのなら複雑骨折状態であったことは間違いない。
また1年に及ぶ入院費はどうやって清算したのか。
その分を引いて岡田家の郵便受けに入れたのかと思ったが、不審な引き出しは確認できなかった。
松葉杖を捨てて街へ消えた稲垣は女に電話をしていたようだが、新たな金づるをつかまえたということなのだろうか。
松田翔太の扱いは最後まで微妙だった。
上戸を信じて移植手術をしたものの、結局病院にいられなくなり、個人医院の内科医に身を落として無聊をかこっており、1年が過ぎても、事件の関係者である北乃きいや上戸彩との交流を断ち切っていない。
明らかに傍景の登場人物なのだが、存在感は残し続けた。
最後まで伏せられたままで終わったのは、上戸彩と稲垣吾郎の歪んだ関係である。
女をイメクラに落とし、稼いだ金を奪う破綻した男と、その男から逃げようとして結局逃げられず、人生に絶望しながら身を落としていく女という関係は、たんなるヒモと風俗嬢ではなく、兄と妹であるということことから、より強靭な因縁を感じさせる。
幼児に貧乏で苦労したとか、困ったときは必ず助けにくると昔言ったとか、それだけのことではちょっと説明がつかない。
クズな兄と、それを見放せない妹というのは、寅次郎とさくらというやはり異常な車兄妹を思わせる。
北乃きいが異母妹であることや、竹野内との共通の父をめぐる家族の屈託という細かい描写をするのなら、稲垣・上戸の異常な兄妹関係がどのように育まれたのかも説明されるべきだったと思う。
その異常さがあってこそ、竹野内が上戸を引き受ける感動も成立するからである。
最終回では北乃きいの輝きが戻っていた。
流れ星のあらすじ
新江ノ島水族館で働く岡田健吾は、妹・マリアが難病で肝臓の移植を必要としていることを知る。親族かその配偶者でなければ臓器提供は法によって厳しく規制されているが、親族の中から移植に同意してくれる人はおらず、最後の望みの綱だった婚約者も移植を拒否し、2人は別れてしまう。一方、風俗嬢として働く梨沙は、兄・修一の作った借金のために自暴自棄になっていた。偶然出会った健吾と梨紗は借金の肩代わりと、結婚し移植をすることを互いに条件とし契約を結び、結婚する。本来出逢うはずのない2人であったが、互いが背負った境遇が2人を引き寄せていく。
