石原慎太郎の短編(新潮1958年6月号)を原作として1964年(昭和39年)3月1日に公開された篠田正浩監督、池部良主演による日本映画。
乾いた花の原作
石原はこの作品について、「「乾いた花」は、私のトリスタンとイゾルデの物語である。かかる不毛な愛こそ、愛に於ける最も現代的典型と私は思う。それを知って自らの愛を断ち切る、かかる主人公たちの痛ましい賢しさを、我々は果して人間の真実の知恵とはいえるであろうか」と解説。「「乾いた花」の主人公は私が最も愛するタイプの人間像である。現代に於ける精神の頽廃、荒廃は時としてかかるロマネスクな人間を作り得る」と述べている。
乾いた花の原作のあらすじ
ヤクザの村木は三年の刑期を終えて世間へと戻ってきたが、待っていたのは退屈な暮らしだった。組事務所も、昔の女も、とくに何も変わらないが、そのことがむしろ面白くなかった。しかも抗争の中で手を汚したにもかかわらず、争いはすでに手打ちとなっており、いまは手柄にすら数えられていない。
空虚な思いを抱いたまま賭場に顔を出した村木は見慣れない若い女、冴子の姿を見つける。場にそぐわない雰囲気の美しい女だが肝が据わっていて勝ち続け、場をさらっていく。聞けば素性も誰の伝手なのかも分からないという。関心をいだいた村木は冴子に声をかけ、危険な賭博に惹かれている彼女の心の中に、退屈と破滅願望が巣食っていると知る。身なりもよく、高級なスポーツカーを乗り回し、豊かな暮らしを思わす人々に囲まれている冴子だったが、満たされているように見えず、心の中は自分と通じると村木は感じた。
より大きな賭けがしたいと望む冴子を連れ、よその組が仕切る賭場で勝負に挑む二人。そこで葉(よう)という香港帰りのはぐれ者、殺しや麻薬などの危ない噂に事欠かない男と出会う。冴子は葉に近づいて麻薬にも手を出し、村木のもとから離れていく。冴子に対する屈折した愛を強めていく村木だったが、そんなとき組同士の抗争が新たに勃発し、彼は探し出した冴子を連れて、その目前で殺人を遂行してみせる。
映画乾いた花の感想
少女にしか見えない加賀まりこの経歴としては、20歳そこそこでパリに渡り、トリュフォーやゴダール交流したのち、金が尽きて帰国した後に公開されたことになるが、松竹は8ヶ月お蔵入りさせ、同時期の日活「月曜日のユカ」にぶつけたというから、撮影は渡仏前だろう。
もっとも、加賀は前年も5本、この年も5本もの映画に出ていて、いつ渡仏の暇があったのやら。姿を隠していたかと思うとひょっこり現れて「あたし、ヤクを打ってみたの」と屈託なく話す謎の女冴子に、芸能生活に退屈しきっていた加賀の姿が重なる。
「東京か。3年ぶりだ。眩暈のするような空気だ」という虚無感漂う池部良の台詞から始まり(上野駅の「翼の像」が映る)、60年代の横浜(黄金町、横浜橋あたりの裏通り)になり、「どっちもどっちもどっちも」「先にコマ先にコマ先にコマ」という声がフェードインして賭場シーンになる。カッコよさにちびりそうだ。コッポラやスコセッシはこのフィルムを買い取って研究し尽くしてから、「ゴッドファーザー」「タクシードライバー」などを撮っている。
乾いた花のキャスト
村木 – 池部良
冴子 – 加賀まりこ
葉 – 藤木孝
古田新子 – 原知佐子
玉木 – 中原功二
安岡 – 東野英治郎
礼二 – 三上真一郎
船田 – 宮口精二
次郎 – 佐々木功
相川 – 杉浦直樹
溝口 – 平田未喜三
今井 – 山茶花究
早川 – 倉田爽平
サブ – 水島真哉
歌手 – 竹脇無我
中盆A – 水島弘
中盆B – 玉川伊佐男
芸者 – 斎藤知子
女給タア坊 – 国景子
恰幅のいい客 – 田中明夫
乾いた花のスタッフ
監督 – 篠田正浩
製作 – 白井昌夫、若槻繁
製作補 – 清水俊男、中島正幸
原作 – 石原慎太郎
脚本 – 馬場当、篠田正浩
撮影 – 小杉正雄
美術 – 戸田重昌
音楽 – 武満徹、高橋悠治
編集 – 杉原よ志
録音 – 西崎英雄
照明 – 青松明
助監督 – 水沼一郎
監督助手 – 吉田剛、山根成之
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