映画1960年代の映画1966年の映画

けんかえれじい

4.0
浅野順子(けんかえれじい) 映画
浅野順子(けんかえれじい)
鈴木隆の小説(1966年理論社刊)を原作として、1966年に鈴木清順監督、高橋英樹主演で公開された映画。製作は日活で、鈴木清順が先に手掛けた『東京流れ者』の続編『続東京流れ者 海は真っ赤な恋の色』(森永健次郎監督)と2本立てで公開された。他に、1973年5月~6月までNHK少年ドラマシリーズで6回放送されたドラマがある。

映画けんかえれじいの感想

浅野順子の障子のシーンはまさに映画そのものと言える(その直後の走り去る彼女がするりと暖簾(?)を落としていく完璧なショットまで含めて)。

コントラストの効いた美学的な構図、ダイナミックなキャメラ移動、清順的なおかしなショットなど、やはり不朽の名作である。

40年前、入ったばかりの大学サークルでこの映画の上映会を企画していたことを思い出す。
あれは、終盤の軍靴に蹴散らされる浅野(大橋巨泉夫人である)、北一輝(緑川宏である)のクローズアップからラストカットにいたる画面の熱気がもたらした、時代的な興奮だったのだろうか(公開当時の全共闘の興奮を共有することは難しい)。
その部分が蛇足だとは思わないけれども、あまりにも美しすぎるシーンが多すぎる。

それにしても、浅野順子(葵わかなに似ている)の「身体の欠陥」って、何だったのかな。

けんかえれじいの見どころ

本作は原作・鈴木隆の自伝的小説を基に、敗戦後間もない時代の不良少年・阿久根(高橋英樹)の青春を描いたものである。
主人公は学校内外のケンカを繰り返しながらも、心の奥では愛や友情、自己実現を渇望している。鈴木清順はこれを単なる「不良映画」としてではなく、“殴り合いを通じてしか世界と繋がれない不器用な青春”として描いた。
しかしながら、従来のリアリズムから逸脱し、対峙する不良たちの「顔のアップ」と「長回し」、モノクロ調の暴力の中で一層際立つ鮮烈な赤や青の色彩など、意図的にスタイリッシュな画面構成を採用したのが清順流である。
ケンカシーンにジャズや軽快な音楽をかぶせる手法も斬新だった。これにより暴力は単なる残酷なものではなく、青春のひとつの「踊り」や「儀式」として昇華されている。

タイトルが示す通り、清順は暴力の中に詩情を見出している。ケンカは単なる勝敗のための暴力ではなく、仲間との連帯、社会との対立、つまり自己肯定の手段である。この結果、観客は乱闘シーンでさえ美しい“舞踏”を見ているかのような感覚に陥る。

暴力的で無秩序な学生社会は、戦後日本そのものの混乱と不条理のメタファーとなった。学校制度や大人の権威が形骸化し、若者たちは自分のルールで世界を作ろうとする。清順はその姿を肯定も否定もせず、カオスの中のエネルギーとして描いた。

高橋英樹は本作でスター性を完全開花し、その肉体と拳、表情がスクリーン全体を支配し、まさに「肉体が語る映画」になった。清順は「言葉ではなく体で表現する青年像」を確立し、後の多くの青春映画に影響を与えたのである。

鈴木清順は『けんかえれじい』で、血と汗と涙の喧嘩を“青春のエレジー”に昇華させた。ここには暴力映画を超えた、美しき若さの瞬間がある。

『けんかえれじい』の美学

鈴木清順は映画における「現実らしさ」よりも、「画面の美しさ」や「象徴性」を優先する。

背景や登場人物を意図的に左右対称に配置し、遠近感を無視した浮世絵や日本画のようフラットな構図におさめ、ケンカシーンでも無駄な動きがなく、ポーズの連続のように「静止画の美」を強調する絵画的画面構成。

例えば街頭での決闘シーンでは、阿久根たちの群像を遠景のシルエットで描き、背後の空に映る不穏な雲、交差する電線、整然と並ぶ観衆の影を画面におさめた。まるで暴力のバレエ”だ。

さらに「リアルな色」よりも「心理や状況を象徴する色」を多用した。
真っ赤な背景と、真っ黒なシルエットの対比、青・黄などの原色が服や小道具に散りばめられ、暴力の瞬間に色が感情の増幅装置として機能させている。
教室での乱闘シーンでは、蛍光灯の白い光の下で、血に見立てた赤いインクを飛散させ、そこに夕陽のオレンジ差し込み空気を濁らせる、といった具合である。

また、アクションや会話の「間(ま)」を独特に扱った。
ケンカの前後に不自然なほど長い沈黙*を挿入し、観客に不安と期待を与えた上で、乱闘の最中は短いカットを連打し、暴力のカオスを強調する。
阿久根が立ち上がる前の数秒は無音の静止であり、突如として殴打音が響く。この「静」と「動」の極端な対比が、緊張感を与えている。

暴力描写に明るいジャズや軽快なBGMを重ねているのも特徴的。
阿久根の屋上乱闘シーンでは、バップジャズのリズムに合わせて、拳の応酬がまるでダンスのようだ。通常なら緊迫した音楽が使われる場面で、軽妙なジャズを流し、暴力を現実感から切り離している。

暴力そのものを描くのではなく、「若さ」「生存本能」「反抗」のメタファーとして配置した。
ケンカは青春の通過儀礼であり、殴る/殴られることによってしか自己表現できない不器用な若者たちとして撮影した。阿久根がひとり立ち向かうラストバトルでは、背後に瓦礫と夕陽を配置している。

けんかえれじいのあらすじ

旧制岡山第二中学校の生徒・南部麒六は、夢見がちで柔らかい物腰の学生だったが、憧れの道子を馬鹿にした上級生たちとケンカになり、上級生を叩きのめしてしまう。その様子を見ていたOBでケンカの達人・スッポンは、麒六のケンカの才能を見込んで、麒六にケンカの極意を伝授。麒六はたちまち学校の不良たちを制圧し、学校最大の勢力OSMS団(岡山セカンドミドルスクール団)の副団長に祭り上げられたが、学校に軍事教練にやってきた教官と衝突し、岡山を出奔することとなる。
会津若松の親戚の家に転がり込んだ麒六は、喜多方中学に入学し、ここでも地元のバンカラ集団昭和白虎隊と死闘を展開。地元のカフェで出会った不気味な男が北一輝であることを二・二六事件の新聞報道で知った麒六は、道子との恋にも破れ、更に大きなケンカを求めに東京行きの列車に飛び乗った。

けんかえれじいを観るには?

映画けんかえれじいのキャスト

南部麒六 – 高橋英樹

道子 – 浅野順子

スッポン – 川津祐介

道子の母ヨシノ – 宮城千賀子

マンモス先生 – 加藤武

喜多方中学校長 – 玉川伊佐男

アヒル先生 – 浜村純

近藤大尉 – 佐野浅夫

みさ子 – 松尾嘉代

剣道先生 – 長弘

麒六の父 – 恩田清二郎

タクアン – 片岡光雄

ガニ股先生 – 日野道夫

叔父 – 福原秀雄

金田 – 野呂圭介

ウドン屋の娘 – 夏山愛子

柔道先生 – 晴海勇三

杉田 – 杉山元

千代田弘

カッパ – 田畑善彦

叔父の若い妻 – 横田陽子

橋谷田 – 加川景二

喜多方の百姓 – 久松洪介荒井岩衛

二二六事件の張り紙を読む通行人 – 水木京一近江大介

スッポンの同志 – 本目雅昭(方言指導兼)

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