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霧に棲む悪魔

京野ことみ(霧に棲む悪魔) ドラマ
京野ことみ(霧に棲む悪魔)

姜暢雄はアパートの部屋で入山法子に恭しく手を差し伸べ、
「いらっしゃい、君、空から来たの? ようこそ、屋根裏のお城へ」
と声をかけ、
「さあ、舞踏会の時間だ。タ~ララ~」
とダンスのステップを踏んでいた。
笑えるからいいのだが、こうしたシーンを誰が期待しているのだろうと思う。

第9週|長い長い迷走

進行が遅すぎる。。。
姜暢雄が出てくると展開が滞るのは、ひとえにこの男が優柔不断だからである。 そもそも、安原霧子にキスされた余韻で龍村ファームに迷い込んだにすぎないくせに、今や霧子が死んだと聞いても些かのショックを受けるでもない。入山法子の顔さえ備えていれば、中身はどっちでもかまわないのであろう。

さて、榎木孝明は、DNA鑑定への協力を頼んだ京野ことみに、 「いまこの家に必要なのはお前の言う通り、龍村の血を引く正当な跡取りだ。それを得るにはどうすればいいか、わかっているであろう?」 などと言って、またしても手篭めにしようとしていた。これで三度目であり、しつこい男である。 京野の貞操を最初に守ったのは大沢樹生、二回目は姜暢雄、そして今回は石井智也京野ことみを救った。 今回はサーベルを振り回すことはしなかったが、“ニャンともニャらない”の迷言でおなじみの石井智也
「刑法第176条、13歳以上の男女に対し暴行又は脅迫を用いて猥褻な行為をした者は、6か月以上10年以下の懲役に!」
などと叫んで、逆に玄洋に爪でひっかかれていた。
この傷はDNA鑑定の伏線かと思われたが、実際に鑑定に用いられたのは、広岡由里子が採取した血のついたティッシュだった。
広岡由里子は京野ことみに頼まれたのだが、無知なためDNAをDMAと打ち込んで検索し、無関係なウェブページを表示させていた。
そこに現れたのが小鹿運送の本村健太郎で、これがなぜかDNA鑑定にやたらと詳しく、綿棒で口中の粘膜を採取するのがいいこと、噛んだガム(シュガーレスに限る)、歯ブラシ、口をつけたグラスやストロー、切った爪、血が出るほどブチッと抜いた毛髪、血液などが鑑定に適していることなど、広岡にトクトクと講義していた。
本村は、自分の子供が自分と似てないことを気に病み、DNA鑑定について調べたことがあるらしいのだが、本編とはまったく関係がなさそうなエピソードである。

榎木孝明があくまでDNA鑑定を妨害する理由は、よくわからない。
唐突にシェイクスピアばりの一人芝居が始まり、
「双子の兄弟として生まれながら、お前はすべてを奪っていった。
 ありとあらゆる才能、才覚、英知と美徳、親の期待と愛情さえも
 一心に受けたお前が当然のように龍村家の当主に就いたとき
 私に残されていたものは深い失望と屈辱
 そして傷ついた魂のすみかと成り果てたこの身一つのみ。
 うんぬん」

という長い長い台詞を喋るのだが、意味がわからない。
兄・礼司に復讐をしているということらしいが、こんなシーンは要らないはずである。
俳優・榎木孝明に対する、ナンシー関が言うところの“接待”なのだろうか。

姜と京野に拉致された入山法子は毎日少しずつ記憶を取り戻した。
深夜の龍村邸広間でハープごしに顔を合わせる記憶など、霧子と対面する場面から回復され、次第に、廃校で医師の犬に追いつめられた場面、音楽会の場面、林で霧子宛ての手紙を残す場面、京野ことみと抱き合う場面など、次第に龍村圭以しかもっていないはずの記憶になっていった。
圭以なのか霧子なのか、視聴者ははぐらかされ続けたが、あれほど怪しかった戸次重幸が結局その通り悪魔だったのだから、もはや煙幕に騙される視聴者がいるとも思えない。
しかし戸次重幸と夫婦だった記憶はまだ取り戻せていないので、それを思い出したときの錯乱が楽しみである。

「ゴシュハシンダ」という言葉を意味をめぐって、推理はさんざん迷走した。
姜暢雄は辞書をひいて、五種、五趣、五衆、五酒、語集、五宗、御主といった語彙をリストアップしたが、それらをコンビニで売ってる子供用スケッチブックに書き付けているのがなんともチープである。五衆は僧侶、御主(ウシュー)は琉球王国の君主のこと、など無駄な豆知識が視聴者の脳にインプットされてしまった。
その過程で、御田園の「御」+「主」=御田園家の主が死んだ、という珍説も提出されたが、これは奇しくも真相に近かったと言える。
京野のほうはアナグラムではないかと推理したが、はかばかしい進展はなかった。

二人は石井智也を関西に派遣し、御田園陽一の過去を調査させた。
陽一の父親である大学教授とクラシック好きの母親が大火災で死んだのは、16年前(1995年1月17日の阪神大震災のことである)。陽一は中学卒業と同時にウィーンに留学していたが、火災時には“たまたま”里帰りしており、事件のケガが原因でチェリストを諦める。チェロの練習に明け暮れていたので、友達も少なく、陽一少年を知る人は乏しいのだが、留学時にチェロの先生(故人)に送ってきた絵葉書があり、そこには「Youichi Mitazono Gauche」と書かれていた。
gaucheは仏語で左の意味と京野ことみに教えてもらった姜暢雄は、当然のように、左利きのことではないかという推理にいたるが、当時の新聞に載った写真の御田園陽一が、弓を右に構えているので、二人はこの推理を捨ててしまう。だが、そもそも左利き用のチェロというものは特注を除いて存在しない。
左利きの陽一が死んだというメッセージでも十分に意味は通じるし、そもそも、戸次重幸が顔色を失ったのは、榎木孝明がティーカップのもち手を右から左へ回してみせたからだったのだが…
gaucheには、左利き以外に、不器用、ぎこちないという意味があると京野は指摘する。
賢治の童話の主人公に与えられた名は、そうした意味を担っていた。だが、京野は、身分違いの結婚という意味もある、と言い、
「昔、貴族が身分の低い女性と結婚するときは、右手の代わりに左手を花嫁に与えたんですって」

と、またしてもどうでも良い豆知識を視聴者に授けるのだった。
いよいよ「セロ弾きのゴーシュ」のことだと思い当たった後も、
御田園陽一が死んでいるってどういうこと?
チェリストとしての陽一は死んだという意味?
などと、どこまでもピンとこないままの姜と京野なのであった。

これらの謎解きの過程で、京野ことみは自分の来歴を姜に告白した。
京野の実父は九州出身の売れない作曲家で、音大時代にハープの勉強をしていた京野の母と知り合い、駆け落ち同然に結婚したという。この父は京野が三歳のときに風邪をこじらせて病死、京野の母は幼い京野を連れ子に龍村と再婚したのだという。前夫を忘れない証として京野に日浦姓を継がせたというのだが、この伏線はちゃんと回収されるのだろうか。

大沢樹生は、白い女と引き替えだといって、京野ことみに15億円の小切手を先渡ししてしまった。もちろん戸次重幸の指示ではあったが、京野はそれをそのまま中田喜子に渡し、中田は領収証も渡さず、まんまとそれをネコババしてしまった。
今さら15億円では借金には全然足りない、と中田は京野に言ったが、いくらなんでも、半年もたたぬうちに借金残高が1.5倍を超えるはずはない。あれがカイジのひっかかった三羽ガラスか。

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