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メメント

キャリー=アン・モス(メメント) 映画
キャリー=アン・モス(メメント)
メメントは、2000年のアメリカ映画。原題は「Memento」。ジョナサン・ノーランによる短編小説『Memento Mori』(当時未公開)をクリストファー・ノーラン脚本・監督で映画化。妻を殺されそのショックから10分間しか記憶を保てないという記憶障害を抱えることになった主人公レナード・シェルビーが、妻を殺害した犯人を探す過程を描き、ストーリーの時系列を逆向きに映す革新的な内容が口コミで広がり、封切り時に11館だった上映劇場が500館以上に拡大、10週目に全米チャート8位にランクインした。アカデミー賞において脚本賞、編集賞にノミネートされるなど、興行的にも批評的にも高く評価された。

たえず失われていく始まり(メメントの感想)

フィルムノワールふうのタイトルバック映像(ポラロイドを振る指先のせっかちで薄情な動きが、なんとも官能的なのだが)を除けば、この映画を最後まで見届けた観客がそう思い込んでしまうように、実際にリバースしている映画というわけではない。
つまり、ガイ・ピアースキャリー=アン・モスが後ろ向きに歩いたり、吸っている煙草の灰が次第に短くなっていく様子が映し出されているわけではなく、あくまでも10分間で区切られたシークエンスが逆の順番で並んでいるに過ぎない。
したがってこれは決して編集の映画なのではなく、やはりというか、脚本の映画であると言える。

実際、多くの観客は、映画がどのように撮影されているかを知っており、それはもちろんプロットの時系列順に行われたりしない。
プロット自体、回想や場所の異なる同時間の出来事などを扱い、それを恣意的に混乱させることによる、いわゆる「どんでん返し」をちょうどクライマックスにあたる箇所に設けたりもするのだから、プロットと時系列はさして関係があるわけでもなくて、時系列を意識するのはきまって観客なのである。

そう考えれば、「メメント」は、時系列が恣意的に乱されているさまを描いた映画──「スローターハウス5」や「キャッチ=22」、あるいは(この映画を引き合いに出すのも、もう飽きたが)「マルホランドドライブ」のような)映画──と同列に論じられなければならないのかもしれない。

ただし、「メメント」においては、恣意的なシークエンスを生きているのは主人公だけであって、観客にとって各々のシークエンスはあくまでも律儀に逆順に並んでいる。この律儀さは、たとえば完全に不可逆な時間軸のプロットをなぞるヒチコックの「ロープ」の軽妙な律儀さとくらべると、重く残酷なものであり、それが「メメント」の暗さを生んでいる。

シークエンス内の10分間において、時間は損なわれることなく流れるわけなのだが、実際の順行性健忘症とは、エスカレータのように特定の区間からあふれる記憶がつねに失われていくというものなのではないか。
映画の中でそれは「人と会話しているうちに話題を忘れてしまう」と二度説明されるが、たえず失われていく時間(はじまりが失われていく記憶)は映像化できないもののように思える。

もっとも、そんな言い方もまた不毛なのであって、じつはあらゆる映像は記憶にとどめることなどできず忘れ去られる運命にある。だから人は繰り返し映画を見続け、新しい記憶を見出しつづけるのだ。
銃弾に追われながら自動車の間を走りぬけるガイ・ピアースが唐突に「なぜ俺は走っているのか」と自らに問う瞬間、映画は、見とどめようもなく、観客の記憶を更新しているのである。

メメントのあらすじ

記憶が短く持続する主人公レナードの視点で進行し、彼は強盗事件後の前向性健忘症に苦しみながら、全身に刻まれたタトゥーやポラロイド写真、メモを頼りに「妻を強姦し殺害した犯人『ジョン・G』」を追う。電話で協力者から、かつて保険調査員として出会った記憶障害の男「サミー」の話や、犯人に関する情報を得たレナードは、テディやナタリーと関わりながら事件の真相へ迫る。
次第に、テディが実は麻薬捜査官であり、真犯人は既に殺されていたこと、またレナード自身が語るサミーのエピソードは罪の意識を逃れるための作り話であり、実は妻が絶望の果てに自らの手で彼に致死量のインスリンを注射した結果であることが明かされ、現実と記憶の境界に苦悩するレナードの姿が浮かび上がる。

メメントを観るには?

メメントのキャスト

レナード・シェルビー(保険会社の調査員) – ガイ・ピアース
ナタリー(謎の女性) – キャリー=アン・モス
テディ(刑事) – ジョー・パントリアーノ
バート(モーテルのフロント係) – マーク・ブーン・ジュニア
レナードの妻(故人) – ジョージャ・フォックス
サミュエル・“サミー”・ジャンキス(レナードがかつて担当していた顧客) – スティーヴン・トボロウスキー
ジャンキス夫人(サミーの妻) – ハリエット・サンソム・ハリス
ドッド(レナードを襲う謎の男) – カラム・キース・レニー
ジミー(ナタリーの行方不明の恋人) – ラリー・ホールデン
ウェイター – ラス・フェガ
ドクター – トーマス・レノン
ブロンドの娼婦 – キンバリー・キャンベル
刺青師 – マリアンヌ・メラリー

メメントのスタッフ

監督 – クリストファー・ノーラン
脚本 – クリストファー・ノーラン
原作 – ジョナサン・ノーラン『Memento Mori』
製作 – ジェニファー・トッド、スザンヌ・トッド
製作総指揮 – クリス・J・ボール、アーロン・ライダー、ウィリアム・タイラー
音楽 – デヴィッド・ジュリアン
撮影 – ウォーリー・フィスター
編集 – ドディ・ドーン(英語版)
制作会社 – サミット・エンターテインメント、チーム・トッド
配給 – アメリカ サミット・エンターテインメント、日本 東芝、アミューズピクチャーズ
公開 – アメリカ 2000年9月3日、日本 2001年11月3日
上映時間 – 113分

完全ネタバレ! 『メメント』時系列順まとめ

時系列を逆に語られた「記憶を失う男の物語」を、あえて時系列順に並べ替えると、まったく違う姿が見えてくる。

メメント 時系列順ストーリーボード

  1. レナードの過去(記憶障害以前)
    レナード・シェルビーは保険調査員として働いており、ある顧客「サミー・ジェンキス」(実際は架空の記憶かも)のケースを担当することに。
    サミーは記憶障害を持ち、妻がインスリンの過剰投与で死亡している(レナードはこの事件を自分の罪悪感に結び付け、何度も思い出す)。
    ↑ このサミーの話は、実際にはレナード自身の過去であり、彼の心が作り出した物語だと示唆される。
  2. 妻への襲撃事件(記憶障害発症のきっかけ)
    自宅に強盗が侵入し、レナードの妻を暴行した。
    レナードは襲撃犯の一人を撃ち殺すが、頭を殴られ、短期記憶障害(新しい記憶を10分程度しか保持できない)を発症する。
    襲撃犯が1人だったのか2人だったのかは不明(実際は1人だった可能性が高い)。
  3. 妻の死
    妻は襲撃事件後も生きていた可能性がある。
    レナードの記憶障害が進行し、インスリンの過剰投与によって妻が死亡(レナードが繰り返し投与してしまった?)。
    レナードはこの記憶を否認し、「ジョン・G」という架空の犯人像を作り上げる。
  4. 復讐の旅の始まり
    レナードは妻を殺した犯人を探すために、ポラロイド写真、メモ、皮膚へのタトゥーを使って「記録システム」を構築。
    (実際には「ジョン・G」は存在しない。レナードは復讐の理由を維持するため自分自身を騙している。)
  5. テディ(ジョー・パントリアーノ)の介入
    警官テディが現れる。テディはレナードを利用して麻薬組織のボス・ジミーを殺害させる。
    ジミーを殺したレナードは、その直後にテディのことを疑い始める。
    テディが真実を告げる。
    「君の妻はもう死んでる。ジョン・Gは架空の人物だ。」
    「君は既に復讐を果たしたが、記憶障害でそれを覚えていない。」
  6. レナード、自分を騙す決意
    レナードはテディの忠告を聞き入れず、「復讐心を保ち続けるため」に、テディを次の“ジョン・G”として設定する。
    そのためにポラロイドとタトゥーに偽情報を書き込み、自分の未来の行動を誘導する。
  7. ナタリー(キャリー=アン・モス)の登場
    ナタリーはレナードを利用し、自分の問題(ジミーの麻薬)を解決しようとする。
    レナードはナタリーに操られているが、そのことを忘れる。
  8. テディ殺害(映画の冒頭)
    レナードはナタリーの誘導と自分の偽情報に従い、テディを射殺する。
    彼は「ジョン・Gを殺した」と確信するが、10分後にはそれを忘れる。
  9. 時系列の最終状態
    レナードは妻の死を忘れ続け、復讐のために「架空の犯人」を次々に作り出す。
    彼は真実を求める“被害者”ではなく、自ら復讐を続ける“加害者”となる。

上記のように、時系列順に並べるとレナードが真実を知りながらもそれを拒絶し、無限ループに陥る姿が浮き彫りになる。

※映画本編は「カラー:逆順」「モノクロ:順行」の2パート構成である。

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