『ジャックは一体何をした?』ってどんな映画?
デヴィッド・リンチ監督が自ら刑事を演じ、言葉を話すオマキザルを尋問する17分間のモノクロ短編映画。『ツイン・ピークス』や『マルホランド・ドライブ』のリンチらしい不条理な世界観が、密室劇として凝縮されている。2020年に前触れなくNetflixで配信され、熱狂的なファンの間で困惑と絶賛を巻き起こした。
見どころは、人間の声で渋く語り、時には歌い出すオマキザルの生々しい表情、そして煙草をふかすリンチの丁々発止の会話。
シュールな設定をノワール映画の格調高い映像美で描く手腕は、過去の難解なリンチ作品の系譜を引くもので、映画の常識を揺さぶる一作として、リンチ迷宮の入門編にも最適の作品である。
あらすじ
ざらついたモノクロの映像で、刑事(デヴィッド・リンチ)と、スーツを着てテーブルに向かい合う猿のジャックが対峙する。ジャックはニワトリ殺害の容疑をかけられており、刑事の執拗な追及に対して、人間のような声と口調で煙に巻くような返答を繰り広げる。
キャスト
ネタバレ考察
本作は鉄道駅(リンチ作品ではお馴染みの境界空間=移行地点=無意識への入口)の喫茶室を舞台にしたデヴィッド・リンチとジャック・クルーズ(どちらもリンチなのだが)の会話劇なのだが、噛み合わない会話は「意味が崩壊していく過程そのもの」を示している。
会話は論理的因果よりも、音の連想、英語圏の慣用句、ノワール映画のクリシェ、無意識的欲望、性的暗喩、アメリカ文化の断片がないまぜになって展開していく。いわば悪夢のような言語運動と言える。
刑事は、オマキザルのジャックを人間的な恋愛・犯罪・嫉妬について問いつめ、ジャックはハードボイルド映画の主人公のように喋る。「人間らしさとは何か」「言葉とは何か」「演技とは何か」がはじめから混線した状態で映画は始まる。
会話をよく聞いてみると、慣用句が暴走していることに気づくだろう。
たとえば「birds of a feather flock together.」というのは「似た者同士は集まる」という慣用句だが、本作ではあえて文字通りの「鳥」という意味へ滑っていく。「start talking turkey.」(「本音を話せ」)という台詞は、あえて家禽の七面鳥のイメージに接続されている。つまり英語圏のイディオムが比喩として機能せず、物理的な鳥へと崩落していくのである。二人が口にするchicken、hen、rooster、feathersは、象徴でありながら同時にそのものでもあるというリンチ的悪夢が広がっている。
中でもポイントとなるのは、「性愛」と「家禽」が結びつく終盤。「You’ll get your hands up under those feathers…」というジャックの愛の告白は、純愛なのか獣姦なのか区別不能である(「ブルーベルベット」「ツイン・ピークス」を観ればわかるように、リンチ作品では欲望や愛、恥、倒錯、ノスタルジアなどがしばしば分離不能である)。
さらに本作で顕著なのは、クラシカルなハリウッド・ノワールのパロディが大量に混入していることだ。
「I have the police report.」「 don’t bluff.」「Takes two to tango.」「The party’s over.」といった台詞は、1930〜50年代のB級犯罪映画のテンプレとも言える台詞だが、リンチはそれらを記号の「抜け殻」として配置している。つまり刑事もジャックも、映画の中の人物を演じ続けているのである。
したがって「何か重大な真実が明かされそう」な会話が続くが、決して核心に到達することはない。
「ジャックは一体何をした?」というタイトルは罠であり、観客は、殺人事件の真相も、女の正体も、マックスの殺害も、サリーが誰かもわからぬまま、意味を解く快楽を拒否されている。代わりに提供されているのは、古い映画の記憶、アメリカ英語のイディオム、潜在的性的欲望、動物性、孤独、ジャズ的リズムである。
最後に残るのは、「事件の真相」ではなく、異様な哀しさ(これはリンチの“芸”と言える)。ジャックの語る恋愛は滑稽なのに、どこか本気で切ない。「She was the love of my life.)という猿の台詞が本物の失恋のように響く、滑稽さと悲哀の同居が本作の核である。
なお、コーヒーを運んでくるウェイトレスは、リンチ夫人のエミリー・ストーフル(ただし2023年に離婚が報じられている)。
ジャックは一体何をした?を観るには?
ジャックは一体何をした?作品情報
製作 – サブリナ・S・サザーランド
脚本 – デヴィッド・リンチ
撮影 – スコット・レスラー
編集 – デヴィッド・リンチ
製作年 – 2017年
製作国 – アメリカ
上映時間 – 17分




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