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大切なことはすべて君が教えてくれた

戸田恵梨香(大切なことはすべて君が教えてくれた) ドラマ
戸田恵梨香(大切なことはすべて君が教えてくれた)

ドラマではいまだ描かれていない発端の夜のことを、三浦の兄である新井浩文に戸田が確認するシーンがあった。新井は先週、戸田・三浦が送った結婚式の招待状を破り捨てていたから、問題の夜について何かを知っていると思われる。
話がテンポよく展開していくので、このドラマは飽きさせない。

第4話|「君」とは一体誰なのか

戸田恵梨香ならずとも、第1回以来、終始キョドっている三浦春馬にはうんざりさせられるのだが、これはあくまでも作り手の意図によるものだと考えてみる。
「大切なことはすべて君が教えてくれた」という言葉を口にするのは一体誰なのか、「君」とは誰なのか、「大切なこと」とは何か、といったことがまだ予想もつかない状態なので、作り手の意思がどこにあるのかわからない。
戸田、三浦、武井咲のいずれかが「君」であるのは確かだろう。
武井咲に人生を狂わされたことをもって「教えてくれた」ということになるのか、戸田が指摘するように、「あくまでも正解の行動をとろうとする」三浦のユニークネスが、誰かに何かを教えることになるのか、この3人の中では最も常識的な戸田が三浦か武井に何かを教えることになるのか、どの展開もありえるのである。

このドラマは歪んだ学園物であり、第2回では生徒のちょっとした問題を三浦は解決してみせている。
今回、三浦を吊るし上げる生徒たちは戯画化された学園物のようである。
剛力彩芽や菅田将暉のキャラクターは極端で、実際にはいそうもないが、内田有紀のキャラクターもエキセントリックに過ぎて、不自然さを感じさせる。こういった不自然は、言うまでもなく、三浦を窮地に陥れるための作り手の意思である。
三浦と武井の間に本当に性交渉があったと信じる視聴者はいまいし、空白の始業式前夜に、新井浩文が何やら関係していることもわかっている。そこに隠されている設定と、「大切なことは…」という題名が意味するものの間に何があるかを知りたい視聴者だけが、このドラマを辛抱強く見続けているといえる。

第5話|ゼロ時間へ

“ゼロ時間”に何が起こったのかが、ようやく明らかにされた。
誰もが予想したように、武井咲の破瓜の相手は三浦春馬ではなかった。
しかし、この一連の事件で三浦が責められるべきなのは、あくまでも自分が武井咲の処女を奪ったと思いこんでいたことである。
実際に交情に及んだかどうかは、戸田恵梨香にとってあまり問題ではなく、むしろ、覚えていないくせにそれを認めたことのほうがよほど罪深い。
それを踏まえて、三浦が戸田を棄てるにいたる今回の結末は、これまでにない、かなり大胆なものだと思う。
事件の落着に安堵して駆け寄る戸田を半ば無視して、自分に夏実がいるようにひかりを待ってくれている人はいるのだろうか、と通りの先を見つめる三浦。「いるとしたら、僕なんじゃないかな。」という台詞の破壊力はすさまじい。

武井咲は、「薬を飲まないと女でいられない」とか、女として完璧だった姉へのコンプレックスであるとか、視聴者にとっては既知の情報ばかりが念を押され、ここまでドラマを牽引してきた「謎めいていた美少女」ぶりをあっさり放棄してしまった。(もっとも、姉になりきった武井の美しさは、特筆に値するものだった)
性同一性障害なのかと思っていたのだが、そこまでは踏み込まれなかった。
この宙ぶらりんな美少女が、鬼畜な三浦の「愛」によって、今後どのような表情を見せることになるのか楽しみである。

三浦の子を身籠っている戸田は、自分が置かれた異常な状況を確認するかのように、様々に自問する。
いわく、「一番憎んでいいはずの私が、一番修二を救いたいと言った。これが愛なら、愛って苦しい。」「皆に軽蔑される修二を見ると、すごく辛いの。」「修二は生徒と寝るような男じゃない。」「修二のことは、やっぱり大切。でも死ぬほど憎い。」「私の知らない修二がまだいるのかもしれない。」
そしてラストは、
「もしかしたら修二は、初めて誰かを愛し始めたのかもしれない。だとしたら、私が修二にしてあげられることは、結婚を止めることしかない。」

次回は半年後という設定である。予告編の戸田が臨月に見えなかったということは、掻爬したのだろうか。

破綻した好青年である三浦、謎を失った、女ならざる美少女・武井、唯一、常識の人でありながら、試練を乗り越えようとする戸田。
「大切なことはすべて君が教えてくれた」と口にするのは誰なのか、「君」とは誰なのかという謎は、依然引き延ばされている。

第6話|三浦春馬はこれでいいのか

そして半年後──なのだが、この時間の経過はなぜかヒジョーにおざなりで、本当に6ヶ月経過したようには、とても見えない。完全に何も起こらない空白の6か月であって、その後でどのような展開になっても、それは登場人物の思考の変容があったため、という言い訳を可能にするための時間経過であるとしか思えない。
しょせん制作側の事情であり、アンフェアでもあって、ずるい脚本だと思う。
事実、各人物の気分は確実かつビミョーに読みにくくなっており、三浦春馬は反省もせずにすっかりやさぐれ、戸田恵梨香のお腹は隠さなければそれとわかってしまうほど大きくなり、武井咲はじきに転校することになった。
相変わらずどのような展開も可能であり、問題にしているタイトルの「君」というのが、ひょっとしたら戸田が生むことになる子供である可能性も出てきた。

女たちが半年の間に確実に変化しているのに対し、三浦だけはほとんど変わっていない。端的に言って、三浦は、終始キョドりながら、戸田の思いを踏みにじって悪い方へ人生を踏み外す男であり、三浦という俳優のイメージダウンまで起こりかねない展開である。
悪役らしく描かれていないから、なおさらだと思う。

第7話|やっぱりこのドラマはダメだったのか

あまりの煮えきらなさにますます箔を落とし続ける三浦春馬、これでいいのかとやっぱり心配になるほどである。
こんな男に「君が教えてくれた」と言われるのは、教えるほうもイヤである。
まして三浦が誰か(戸田恵梨香武井咲)に何かを教えられるはずもない。
すると、このドラマは、戸田が武井に、あるいは武井が戸田に何かを教えてもらう話ということになる。

三浦を可愛いと言ったかと思うと、最低といい、そしてついに「女として見てほしい」という言葉を出してしまう武井は、むしろ思春期の女性ホルモン全開状態のように見える。
たじたじとなる戸田であるが、この期に及んで新たに、「3か月前」という注釈付きで福士誠治という男との出会いが描かれる。
この注釈は明らかにアンフェアなもので、作り手に対する信頼を失わせるものだ。
「大抵の人は打算で結婚するが、そこに少しの愛があれば愛だけの結婚より幸せになれる、愛しかない結婚は愛が冷めたときに何も残らない」
福士が披露するバーナード・ショウのような警句に心がぐらついてしまう戸田だが、この言葉にはほとんど意味がないと思う。

この後の展開がどうなろうと、もはや驚くことはないと思うが、ひどく手前勝手な結果に向かって進んでいくような気がする。

第8話|月9始まって以来の?感情移入不可能な主人公

三浦春馬は“すべて”を失うことになって、ようやく、キョドり顔ではない表情も見せるようになった。キョドり顔は、三浦の俗物的な側面をあらわしていたのだろう。つまり、まずもってすべてに受動的であり、周囲の状況を読んで脊髄反射的に良い人を演じてしまう側面である。
人に迷惑をかける状態が最も堪えるはずだ、と戸田恵梨香は分析していたが、であれば、キョドらない三浦春馬は、人に迷惑をかけることを厭わないことになる。さらなる脱皮を待ち望むものである。

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