ドラマ2011年のドラマ2010年代のドラマ

大切なことはすべて君が教えてくれた

戸田恵梨香(大切なことはすべて君が教えてくれた) ドラマ
戸田恵梨香(大切なことはすべて君が教えてくれた)
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武井咲は、「薬を飲まないと女でいられない」とか、女として完璧だった姉へのコンプレックスであるとか、視聴者にとっては既知の情報ばかりが念を押され、ここまでドラマを牽引してきた「謎めいていた美少女」ぶりをあっさり放棄してしまった。(もっとも、姉になりきった武井の美しさは、特筆に値するものだった)
性同一性障害なのかと思っていたのだが、そこまでは踏み込まれなかった。
この宙ぶらりんな美少女が、鬼畜な三浦の「愛」によって、今後どのような表情を見せることになるのか楽しみである。

三浦の子を身籠っている戸田は、自分が置かれた異常な状況を確認するかのように、様々に自問する。
いわく、「一番憎んでいいはずの私が、一番修二を救いたいと言った。これが愛なら、愛って苦しい。」「皆に軽蔑される修二を見ると、すごく辛いの。」「修二は生徒と寝るような男じゃない。」「修二のことは、やっぱり大切。でも死ぬほど憎い。」「私の知らない修二がまだいるのかもしれない。」
そしてラストは、
「もしかしたら修二は、初めて誰かを愛し始めたのかもしれない。だとしたら、私が修二にしてあげられることは、結婚を止めることしかない。」

次回は半年後という設定である。予告編の戸田が臨月に見えなかったということは、掻爬したのだろうか。

破綻した好青年である三浦、謎を失った、女ならざる美少女・武井、唯一、常識の人でありながら、試練を乗り越えようとする戸田。
「大切なことはすべて君が教えてくれた」と口にするのは誰なのか、「君」とは誰なのかという謎は、依然引き延ばされている。

第6話|三浦春馬はこれでいいのか

そして半年後──なのだが、この時間の経過はなぜかヒジョーにおざなりで、本当に6ヶ月経過したようには、とても見えない。完全に何も起こらない空白の6か月であって、その後でどのような展開になっても、それは登場人物の思考の変容があったため、という言い訳を可能にするための時間経過であるとしか思えない。
しょせん制作側の事情であり、アンフェアでもあって、ずるい脚本だと思う。
事実、各人物の気分は確実かつビミョーに読みにくくなっており、三浦春馬は反省もせずにすっかりやさぐれ、戸田恵梨香のお腹は隠さなければそれとわかってしまうほど大きくなり、武井咲はじきに転校することになった。
相変わらずどのような展開も可能であり、問題にしているタイトルの「君」というのが、ひょっとしたら戸田が生むことになる子供である可能性も出てきた。

女たちが半年の間に確実に変化しているのに対し、三浦だけはほとんど変わっていない。端的に言って、三浦は、終始キョドりながら、戸田の思いを踏みにじって悪い方へ人生を踏み外す男であり、三浦という俳優のイメージダウンまで起こりかねない展開である。
悪役らしく描かれていないから、なおさらだと思う。

第7話|やっぱりこのドラマはダメだったのか

あまりの煮えきらなさにますます箔を落とし続ける三浦春馬、これでいいのかとやっぱり心配になるほどである。
こんな男に「君が教えてくれた」と言われるのは、教えるほうもイヤである。
まして三浦が誰か(戸田恵梨香武井咲)に何かを教えられるはずもない。
すると、このドラマは、戸田が武井に、あるいは武井が戸田に何かを教えてもらう話ということになる。

三浦を可愛いと言ったかと思うと、最低といい、そしてついに「女として見てほしい」という言葉を出してしまう武井は、むしろ思春期の女性ホルモン全開状態のように見える。
たじたじとなる戸田であるが、この期に及んで新たに、「3か月前」という注釈付きで福士誠治という男との出会いが描かれる。
この注釈は明らかにアンフェアなもので、作り手に対する信頼を失わせるものだ。
「大抵の人は打算で結婚するが、そこに少しの愛があれば愛だけの結婚より幸せになれる、愛しかない結婚は愛が冷めたときに何も残らない」
福士が披露するバーナード・ショウのような警句に心がぐらついてしまう戸田だが、この言葉にはほとんど意味がないと思う。

この後の展開がどうなろうと、もはや驚くことはないと思うが、ひどく手前勝手な結果に向かって進んでいくような気がする。

第8話|月9始まって以来の?感情移入不可能な主人公

三浦春馬は“すべて”を失うことになって、ようやく、キョドり顔ではない表情も見せるようになった。キョドり顔は、三浦の俗物的な側面をあらわしていたのだろう。つまり、まずもってすべてに受動的であり、周囲の状況を読んで脊髄反射的に良い人を演じてしまう側面である。
人に迷惑をかける状態が最も堪えるはずだ、と戸田恵梨香は分析していたが、であれば、キョドらない三浦春馬は、人に迷惑をかけることを厭わないことになる。さらなる脱皮を待ち望むものである。

三浦は自分の処分をかけた理事会で、大人しく辞表を出すという風間杜夫との事前の約束をいきなり破り、罰を与えるというなら馘にしてくれと開き直る。半年の謹慎の間、生徒たちの変化を見守ることができなかったのだから、軽蔑されてもそれをやりとげることが自分の反省の仕方だ、というようなことを熱弁するのであるが、いや、ちょっと何いってるかわからないんですけどwww
月9ドラマで、こんなに感情移入できない主人公は初めてなのではないか(いや、月9を見たのは数えるほどなんだが)。

一方、愛に加えて多少の打算があったほうが関係は長続きする、と、まるで愛人でもいるかのような老練な警句を発していた福士誠治だが、戸田は、愛だけしか残っていない人を自分は選ぶかもしれないと言う。戸田もまたキョドらない三浦を待っているわけである。
しかし、よく考えると、この戸田も、なんだかわからないキャラである。
これまでの流れからすると、三浦の俗物性を剥ぎ取ることが戸田の目的であるかのようである。そこに気づいてしまったことから、このドラマが始まったと言える。

さて、剛力彩芽である。
ドラマ初回から目を引くキャラであったが、18歳でないとできないあの身のこなしは、本当にまぶしい。

第9話|これは本当に恋愛ドラマだろうか

何やってんだ、この男は…と思わざるを得ない終盤の展開である。
最終回と思い込んで見ていたので、「ふたりの出した結論は…!」という台詞で終わるラストに思わずのけぞり、なんという思い切り!とやや興奮して、これをどう評価するべきかと悩んでいたら、次回最終回の予告編が始まったので、逆に少しがっかりした。
Twitterで見かけた、

@aoiha: さよなライオンじゃ無いだろう、行ってきマウスだろうby春馬 #taisetsu #fujitv http://bit.ly/hKTuLq http://bit.ly/hKTuLq

というツイートにメチャクチャ受けたww

このドラマは月9=恋愛ドラマなのだから、クライマックスになっても主人公たちがなかなか思うように動かないことに苛々するのはお約束と言ってもいいはずだが、これはいったい本当に恋愛ドラマなのだろうか、という疑念を棄てきれないところが、このドラマのユニークなところである。
正直、三浦春馬が演じる「柏木修二」という男の得体の知れなさを描くドラマとしか思えない。

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