『アメリカン・ビューティー』ってどんな映画?
第72回アカデミー賞で作品賞、監督賞、主演男優賞など主要5部門を独占した、90年代を締めくくる衝撃作。完璧に見えるアメリカの中産階級の家庭が、内側からゆっくりと崩壊していく様を、皮肉と美しさ、そして深い虚無感と共に描いた映画。サム・メンデスの映画デビュー作にして最高傑作の一つであり、赤いバラの花びらに埋もれるアンジェラ(ミーナ・スヴァーリ)のイメージや、風に舞うレジ袋を映したビデオレターなど、象徴的なシーンがいくつもある。
ケヴィン・スペイシーはもちろんのこと、隣家の厳格な父親を演じたクリス・クーパーや、不動産業に執着する妻役のアネット・ベニングなど、俳優陣のアンサンブルがこの映画の「毒」と「切なさ」をより一層引き立てている。
あらすじ
広告代理店に勤め、シカゴ郊外に住む42歳のレスター・バーナム。一見幸せな家庭を築いているように見えるが、不動産業を営む妻のキャロラインは見栄っ張りで自分が成功することで頭がいっぱい。娘のジェーンは典型的なティーンエイジャーで、父親のことを嫌っている。レスター自身も中年の危機を感じていた。
そんなある日、レスターは娘のチアリーディングを見に行って、彼女の親友アンジェラに恋をしてしまう。そのときから、諦めきったレスターの周りに完成していた均衡は徐々に崩れ、彼の家族をめぐる人々の本音と真実が暴かれてゆく。
キャスト
キャロライン・バーナム – アネット・ベニング
ジェーン・バーナム – ソーラ・バーチ
リッキー・フィッツ – ウェス・ベントリー
アンジェラ・ヘイズ – ミーナ・スヴァーリ
バディ・ケーン – ピーター・ギャラガー
バーバラ・フィッツ – アリソン・ジャネイ
フランク・フィッツ大佐 – クリス・クーパー
ジム・オールメイヤー – スコット・バクラ
ジム・バークリー – サム・ロバーズ
ブラッド・デュプリー – バリー・デル・シャーマン
見どころ
本作は、完璧に見えるアメリカの中流家庭の「崩壊」と、その裏側にある「真の美しさ」を痛烈なユーモアと毒気で描いた、今なお語り継がれる人間ドラマである。
ケヴィン・スペイシーが体現する「中年男の覚醒と暴走」
主人公レスター・バーナムを演じるケヴィン・スペイシーの演技が本作のエンジン。無気力な会社員だった彼が、娘の親友アンジェラ(ミーナ・スヴァーリ)に恋をすることで、家庭も仕事も投げ出して「自由」へと突き進む解放感。
アネット・ベニング演じる「虚飾にまみれた妻」
キャロラインは、本作のテーマである「外見の完璧さと内面の空虚」を最も象徴するキャラクターである。不動産業で成功することに執着し、売り出し中の家を磨き上げ、自分自身も「完璧な幸せ」を演出し続ける彼女。しかし、その裏では売り上げの低迷に震え、一人で泣きながら自分をビンタして奮い立たせる。アネット・ベニングが演じる、あの痛々しいまでの「必死さ」は、見ていて胸が締め付けられる。
レスターがリビングで情熱を求めても、彼女が気にするのは「シルクのソファにビールをこぼさないこと」。心が通い合わない夫婦が、共通の価値観として唯一持っているのが「高価な家具」だけという皮肉。「不動産王」という分かりやすい成功者に惹かれていく彼女の姿は、彼女自身がいかに「中身」ではなく「ラベル(肩書き)」でしか人間を判断できなくなっているかを表している。
「バラの花びら」と「舞い上がるレジ袋」:対照的な美の定義
本作を象徴する2つのビジュアルだが、レスターの妄想の中で全裸のアンジェラから溢れ出す赤いバラの花びらは、彼が追い求める「性的で、分かりやすく、強烈な欲望」の象徴である。もうひとつは隣人の青年リッキーがビデオカメラで捉えた、風に舞う白いレジ袋。彼はそこに「世界に溢れるあまりにも多くの美」を見出す。
劇中で最も「ゴミ」に近い存在(レジ袋)を「最も美しい」と定義するリッキーの視点は、虚飾に満ちたバーナム家の生活と鮮やかな対照をなしている。
抑圧された隣人、フィッツ大佐(クリス・クーパー)の衝撃
この物語の影の主役とも言えるのが、リッキーの父であるフランク・フィッツ大佐(クリス・クーパー)。
元海兵隊員として家庭を軍隊のように支配し、同性愛を極端に嫌悪する彼は、なぜあのような行動に出たのか。彼が抱えていた「自分自身の真実」に対する恐怖が、レスターの「解放」とぶつかった時、物語は取り返しのつかない結末へと加速する。クリス・クーパーの、張り詰めた糸が切れるような名演は必見。
世紀末のアメリカが抱えた「空虚」への回答
1999年という20世紀が終わるタイミングで公開された本作は、当時のアメリカが到達した「物質的豊かさの極地」にある虚無感を露呈させた。
全てを持っているのに、何も持っていない――素敵な家、最新の設備、美しい庭を手に入れてもなお満たされないバーナム夫妻の姿は、現代のSNS社会における「映え」と「孤独」の問題にも通じる。
舞台演出家出身のメンデスは、家の間取りやライティングをあえて「完璧すぎるセット」のように見せることで、そこに住む人間の不自然さを強調した。
ラスト5分、レスターが語るモノローグは映画史に残ものではないか。
この世界には、あまりにも多くの美しさが溢れている。僕の小さな、愚かな人生の、一瞬一瞬に対して、感謝せずにはいられないんだ。
肉体は滅びに向かいながら、精神はかつてないほどの平穏と美しさに包まれる。皮肉でありながら救いのあるこの結末は絶望をいみするのか、一種の希望を見出せるものなのか。
ケヴィン・スペイシーのその後のキャリアや現実の騒動を知った上で今この作品を見返すと、彼が演じた「欲望と理性の間で揺れる男」の危うさが、当時とはまた違ったリアリティを持って迫ってくるように思う。
なるべく責任のない仕事がしたいというスペイシーの台詞は、それにしても身につまされるよなあ。
アメリカン・ビューティといえば1970年のグレートフルデッドのアルバムタイトルである。デッドのサイケぶりが身をひそめ、メロディの美しさが身にしみるアルバム。しかしエンディングはビートルズの「because」のカヴァーだった。
ケヴィン・スペイシーを中心とする世界は、たいして出来のよくないビリー・ワイルダー風のものだが(舞台出身のサム・メンデスもワイルダーへの傾斜を認めている)、のっけの出だしはビデオテープの映像で、イカニモな空撮のタイトルバックはその次にもってくる。この始まりは、しかしあくまでもトリッキーなものと思われる。
ネオナチ風の隣家の大佐クリス・クーパーがゲイであり、赤い薔薇たる欲望の中心にあったミーナ・ スヴァーリが処女であるというドラマのエンディングは、結局ワイルダー風の辛辣なものだ。微笑みながら死んでいくケヴィン・スペイシーの苦さはやはりアメリカ人でないと実感しがたいのではないか。中産階級の悲喜劇というような文脈で安易に置き換えることはできないのだ。



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