映画1990年代の映画1996年の映画

悦楽共犯者

悦楽共犯者 映画
悦楽共犯者
『悦楽共犯者』(原題: Spiklenci slasti)は、1996年にチェコ、イギリス、スイスによって製作された映画。

『悦楽共犯者』を観るには?

チェコの鬼才、ヤン・シュヴァンクマイエル監督による長編第3作。誰にも言えない秘密の「快楽」を追求するために、奇妙な道具を自作し、儀式のような準備を重ねる6人の男女を描いた、セリフを一切排したシュールな傑作コメディ。)
郵便配達員(バルボラ・フルザノヴァー)がパンを丸めて耳や鼻に詰めるシーン、書店主(イジー・ラーブス)が自作の機械に興じる姿など、触覚を刺激する強烈なフェティシズムは健在。粘土細工やオブジェが生命を宿すシュヴァンクマイエル特有の演出が、人間の根源的な孤独と「悦楽」への執着を、滑稽かつ残酷に浮き彫りにしている。

あらすじ

アパート住まいのピヴォイネは、ポルノ雑誌や傘を買い集め、隣人のロウバロヴァに殺してもらった鶏の羽や粘土を使い、鶏の頭を模した異様な被り物と翼を制作している。一方、書店主のクラは、ニュースキャスターのアンナに執着し、テレビ画面越しに彼女に触れられるような奇妙な機械を自作していた。
そのアンナの夫であるヴェトリンスキーは、街で特定の触感を持つ小物を万引きしては離れに籠もり、妻の視線を避けて独自の悦楽に浸る。さらに、郵便配達員のマールコヴァや、ゴミ箱から藁を漁るロウバロヴァなど、登場人物たちは各々が内に秘めた倒錯的な欲望に従い、日曜日に向けて密かに、かつ熱狂的に準備を進めていく。シュールでフェティッシュな狂気が静かに加速していく。

キャスト

ピヴォイネ(アパートの髪の薄い男) – ペトル・メイセル…
ロウバロヴァ(アパートの中年女性) – ガブリエラ・ヴィルヘルモヴァー
マールコヴァ(女性郵便配達人) – バルボラ・フルザノヴァー
女性ニュースキャスター(ヒゲ男夫人) – アナ・ヴェトリンスカー
書店主クラ – イジー・ラーブス
ヒゲ男ヴェトリンスキー – パヴェル・ノヴィー

6人の独身者が互いに交差する、あまりに豊かな日常。

週末の夜にテレビを点けたら、おお、シュヴァンクマイエルをやっている。ちょうど前の晩に、とある初対面の人物と恵比寿のぶたやで飲み、彼のバンドのメンバーがチェコまでシュヴァンクマイエルを訪ねていったという話を聞いたばかりである。

短編をいくつか(「男のゲーム」の後半と「闇・光・闇」「対話の可能性」)、それに「アリス」と本作を見ながらうつらうつら。もちろん、おかしな夢を見ることになるのだが、目を見開いて見ている悪夢というにふさわしい。

「闇・光・闇」(89年)、「対話の可能性」(82年。チェコ共産党中央委員会で槍玉にあげられた傑作で、思わず見ていて吹き出す)が純粋なアニメーションであるのに対し、「アリス」は、「男のゲーム」と同じく実写とアニメーションの混合であり、96年の本作になると、大部分は実写になって、アニメーション部分は登場人物の視覚内の描写に限定されている。しかし悪夢ぶりは、実写がメインになってもまったく損なわれることがない。昨年鎌倉の小さな美術館でやっていた「シュヴァンクマイエル展」ではこのニワトリマントが展示されていたという。見に行きたかったなー。

6人の独身者(と言いつつ、うち二人は夫婦なのだが)がいて、互いに交差する日常を送っている(それぞれの日常は時間軸が微妙にずらされている)。80年代に流行った松浦寿輝の短い詩論を久しぶりに思い出した。

独身であること。触覚的であること。個の人称性を失うこと。擬態であること。事件であること。時間錯誤であること。そのいちいちが倒錯的でしかありえぬこうした一連の規矩を厳しく自分に課し、いつでもない <今> とどこでもない <ここ> とに辛うじて身を吊って意味と無意味との間を不断に往還しつつ、記号との恋愛の豊かな官能のうちに何もかもを忘れさるとき、詩は、言葉をめぐるもっとも本質的な経験として甦ることができるだろう。

(松浦寿輝「独身者の言葉のために」)

シュヴァンクマイエルを評しているとしか思えぬ、この言葉はどうか。

『悦楽共犯者』を観るには?

『悦楽共犯者』作品情報

監督 – ヤン・シュヴァンクマイエル
脚本 – ヤン・シュヴァンクマイエル
製作 – ヤロミール・カリスタ、ヤン・シュヴァンクマイエル
音楽 – ブラザーズ・クエイ、フランソワ・ミュジー
撮影 – ミロスラフ・シュパーラ
公開 – チェコ:1996年10月17日、アメリカ:1997年8月15日
上映時間 – 87分

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