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麦秋の感想
12月12日を中心に、小津の没後60周年(もしくは生誕120周年)特集がBS松竹東急で放映された。本作を10回くらい見ているが、数十年ぶりだった。
一貫して東山千栄子の寂しげな表情が唯一明るくなるのが、「あ!」と東博前で空に漂う風船を指さすときなのだが、これは戦争から帰ってこない次男を意味しているのだろう。
ケーキを切る原節子。この映画では白い服ばかり着ているのだが(黒のスーツもある)、このシーンはノーブラに見える。
間宮家は鎌倉駅に近いはずだが、周知の通り利用しているのはなぜか北鎌倉駅。こちらに住んでわかったが、北鎌倉からだと稲村ヶ崎や湘南道路(現・国道134号)は遠すぎる。
麦秋 見どころ
『麦秋』は、事件らしい事件が起きないまま淡々と進んでいくが、その淡さの中に、人間の営みの根源的な寂しさや優しさが宿っている。観るたびに異なる印象を残す、“さざ波”のような映画である。
人生の変化は突発的ではなく、誰にも気づかれないほどゆっくりと静かに進んでいく──それをこれほど繊細に映し出した映画は、他にそう多くはないと思う。
「紀子三部作」中もっとも“群像劇”に近い作品
『麦秋』は、原節子が「紀子」という名の女性を演じた、いわゆる「紀子三部作」(『晩春』(1949)、『麦秋』(1951)、『東京物語』(1953))の2本目にあたる。前作『晩春』が父と娘の静かな別離を軸とした密室劇であったのに対し、『麦秋』はより開かれた人間関係と社会的視野の中で同じテーマ(娘の結婚と家族の変化)を扱っている。
物語は、戦後の中流家庭に暮らす独身OL・紀子(原節子)が、親の勧める縁談を断り、戦争未亡人の子を持つ幼なじみと自らの意志で結婚するまでを描いているが、もちろんそれは単なる恋愛や結婚の話ではない。
本作の主題は《世代の交代》《時間の流れ》《家族の循環》といった、大きな人生の輪郭を描き出すことにある。
輪廻と無常:人はめぐり、やがて変わる
小津は本作について、「ストーリーそのものより、もっと深い《輪廻》というか《無常》というか、そういうものを描きたいと思った」と語っている。脚本家の野田高梧も「彼女(紀子)を中心にして家族全体の動きを書きたかった」「あの老夫婦もかつては若く生きていた。今に子供たちにもこんな時代がめぐって来るだろう」と述べている。
つまり本作は、「娘の結婚」という表層のドラマを通じて、「人は誰しも歳を取り、やがて役割を変え、次の世代に場所を譲っていく」という、人生の根本構造=輪廻のようなリズムを描こうとしていると言える。
余白の演出と、唯一のクレーンショット
本作には、小津映画全体を通して唯一のクレーンショットがある。
鳥取砂丘を歩く二人の人物を後ろから追う場面で、通常の映画なら構図の変化やダイナミズムを演出するためにクレーンが使われるのだが、小津は、「構図を一定に保つため」にそれを用いた。
人物が画面の中心から外れないよう、砂丘の高低差をカメラが追いかけたのである。
このエピソードは、小津の映像設計が「動き」ではなく「静けさ」や「構成美」に重きを置いていたことを示す象徴的な逸話である。
また小津は、感情の起伏を場面内で見せることを避け、「さらさらと事件だけを描いて、感情の動きは場面と場面の“間”に盛り上げたい」と述べている。その演出方針は、観客の心に“余白”を与え、説明されない感情や人生の意味を自分の中で反芻させるものとなっている。
“幸福のようで、不思議に寂しい”終幕
紀子が自分の意志で結婚を決めたということは、戦後民主主義的な自立した女性像の象徴ともいえる。
しかしラストシーンで、彼女の両親が子どもたちのいない静かな家に残される姿は、“幸福な門出”の裏にある寂寥を強く印象づける。
この二重性──笑顔と別れ、希望と喪失が同時に存在すること──こそ、『麦秋』を小津作品の中でも屈指の傑作たらしめている所以だろう。
麦秋のあらすじ
北鎌倉の間宮家は3世代同居家族。長女・紀子(28歳)は結婚を迫られ、上司・佐竹から縁談を持ちかけられる。一方、康一の同僚・矢部(未亡人)の母親・たみは、紀子を息子の嫁に望んでいた。紀子は佐竹の縁談よりも、矢部との結婚を選び、家族は驚くが最終的に了承。紀子の結婚を機に、両親は大和に隠居し、間宮家はバラバラに。初夏、両親は麦畑を眺めながら、これまでの人生を振り返る。
麦秋を観るには?
麦秋のキャスト
間宮康一 – 笠智衆
田村アヤ – 淡島千景
間宮史子 – 三宅邦子
間宮周吉 – 菅井一郎(第一協團)
間宮志げ – 東山千栄子(俳優座)
矢部たみ – 杉村春子(文学座)
矢部謙吉 – 二本柳寛
安田高子 – 井川邦子
田村のぶ – 高橋豊子
間宮茂吉 – 高堂國典
西脇宏三 – 宮口精二(文学座)
高梨マリ – 志賀眞津子
間宮実 – 村瀬禅(劇團ちどり)
間宮勇 – 城澤勇夫
矢部光子 – 伊藤和代
西脇富子 – 山本多美
「多喜川」の女中 – 谷よしの
看護婦 – 寺田佳世子
病院の助手 – 長谷部朋香
会社事務員 – 山田英子
「田むら」の女中 – 田代芳子
写真屋 – 谷崎純
佐竹宗太郎 – 佐野周二
麦秋のスタッフ
脚本:野田高梧・小津安二郎
製作:山本武
撮影:厚田雄春
美術:濱田辰雄
録音:妹尾芳三郎
照明:高下逸男
現像:林龍次
編集:浜村義康
音楽:伊藤宣二
録音技術:宇佐美俊
装置:山本金太郎
装飾:橋本庄太郎
衣裳:齋藤耐三
巧藝品考撰:澤村陶哉
監督助手:山本浩三
撮影助手:川又昂
録音助手:堀義臣
照明助手:八鍬武
進行:清水富二
『麦秋』は、観るたびに異なる印象を残す、“さざ波”のような映画です。この記事で少しでも興味を持たれた方は、ぜひ本編をチェックしてみてください。