2011年のドラマドラマ2010年代のドラマ

美しい隣人

4.0
仲間由紀恵(美しい隣人) 2011年のドラマ
仲間由紀恵(美しい隣人)

予告編によれば、次回、仲間が檀夫婦それぞれに誘惑の理由を暴露するようだ。
高知は檀を助けようとする展開のようだが、だとすると、すでに死亡フラグが立っていることになる。

第7話|絞りこまれたシーン

○快気祝い
○家に渡部篤郎を招く仲間由紀恵
○寝室での檀れい夫婦の会話
○幼稚園でむずがる駿
○檀れい宅前の高知東生
○渡部篤郎を詰問する檀れい
○喫茶店での仲間と高知東生の会話
○街を歩く仲間、丘から見下ろす仲間
○檀宅を訪ねる仲間

記憶で書くとだいたいこんな感じで(あ、高知が南圭介とすれ違うカットなどもあったが…)、ドラマの1回分としては異様にシーンが少ないのではないか。
テレビドラマとしては珍しいと思う。
仲間の表情の変化を見落とさないよう集中するので、やはり見ていて疲れる。
たとえば、高知に「隣の人に話していいのか?」と訊かれたときの表情。
「あの人を恨んでいるのだろう」と言われたときの表情。
最後に檀れいの前で振り返り決め台詞を言う寸前の表情。
じつに計算された、抑制を重ねる芝居である。

じつは「劇場版TRICK 霊能力者バトルロイヤル」がようやく準新作になったので、TSUTAYAで借りてきたのだが(これはツマラナイ映画であった)、山田奈緒子を演じる仲間はずいぶん肥っていて、この1年でずいぶんダイエットしたのだなあと思わされた。

次回は「反撃の瞬間(とき)」、いよいよクライマックスである。
これまでのパターンだと、サブタイトルの状況になるのはエンディング寸前である。

第8話|決戦はミスリード?

全然、反撃してない…(^_^;)
「女たちの最終決戦、いよいよクライマックスへ!!」と予告編にテロップが出ていたが、これもミスリードのネタのような気がする。

決戦、という見方で事態を眺めてみれば、檀れい陣営はとりあえず仲間由紀恵の攻撃を認識しはじめたばかりで、足並みが揃っていない。
最小単位は母子、次に夫婦だが、その内側から仲間に食い破られているので、反撃の態勢にはほど遠いのである。
檀自身が仲間の悪意と向き合わなければ反撃は不可能だが、まだショックから立ち直れず、味方の範囲を絞りきれないご様子。
南圭介はいつまでたってもカウンターの内側で自閉しているばかりだし、真正面から仲間に闘いを挑んで最初に死ぬでおろう高知東生も、今回はまだ出てこなかった。

仲間のほうは、もはやはっきりと異常者としての描かれ方であり、こうなってしまうとちょっとつまらない。
仲間に騙されている三浦理恵子や草笛光子が強力じゃないとバランスとれないのだが、「駿君は仲間のものであって当然」という理屈はさすがに通りにくいと思うので(檀と渡部篤郎が駿を残して死ねば、そういう結末もあり得る)、このまま異常者を退治する話で終わるのは、ちょっと退屈である。

まるでスズメや野良犬のように、駿君がアッセンブルボーグのフィギュアに釣られるくだりなど、今回の演出にはとくにヒチコックタッチを感じた。

第9話|大鏡が割れた

髪型が変わったせいなのか、仲間由紀恵がなんだか肥って見える。
ドラマ中盤の美しさはなぜか失われてしまった。
後半の、住宅展示場で働く姿などは、もっとずっと美しく見えるはずなのではないか。

さて、檀れいの家の大鏡がついに割れた。
仲間は割れた鏡の破片で左眼まぶたを切り、涙のように見える血を流した。
このドラマで仲間が血を流すのは二度目である。
一度目はホテルのティールームで高知東生と向き合いながらグラスを握りつぶした時だった。
何をするかわからない女として登場している仲間だけが血を流す、というのが「美しい隣人」の特徴のひとつである。
これは最終回で高知がつぶやく「傷つきやすい女」というフレーズに結びつくのであろう。

大鏡とは、表面的には、檀れいが築いた“幸せな家庭”のメタファーであるが、同時に、檀の鏡像としての仲間という意味も含んでいるのだろう。このへんの感想は最終回のときにあらためて記すことにする。

今回のタイトルは「零れたミルク」であり、最後のシーンで駿君が繰り返し倒すコップからあふれる牛乳のことである。
駿君は「本当のママはどこ?」と仲間に吹きこまれた台詞を口にし、アイデンンティティが崩壊した檀は動顚するのだが、駿君がバカということではなくて、ここで語られているのは、“零れたミルクは元に戻らない”ということである。
今回は大鏡が割れるクライマックスが前半にあり、長い後半は後日談という構成になっているのだが、その間、檀は事件の後遺症に苦しみ、「どうしろって言うんだよ!」と逆ギレする渡部篤郎はちっとも慰めにならない。
傷ついた檀の精神を癒す術は見出されず、「もはや元の生活に戻ることはできない」というメッセージとともに終わる絶望の回であった。
しかし、人生は続く。
駿を育てて生きていかなければならない檀はどうするのか、ということが最終回で語られることになる。

最終話|謎すぎて消化不良

駿君が仲間由紀恵に手なずけられていることを知った檀れいは、まず高知東生のもとへ向かうのだが、仲間を悪しざまに罵るかに見えた高知はなぜか遠い目をして、「彼女はひどく傷つきやすい女なんです…」などととぼけたことを言っている。
このあたりから、仲間の存在はなぜかぼんやりしたものになっていく。

ドラマは多くの謎を残して終わった。
仲間が死んだのかどうかすらあやふやだし、檀にDVDを送ってよこしたのが誰かも不明である。
ラストシーンは、深夜、檀にかかってきた仲間の電話である。
仲間の最後の台詞は何なのかをめぐっていろいろな説があるようだが、「よかった…!」という檀の台詞を模したのではないかと思われた(駿君が見つかったときにテレビのマイクが捉えた台詞)。
この電話は本当にあったことなのか、仲間の夢だったのか。
夢だというなら、そもそも、家族が眠る深夜に檀がベッドを抜けだしたこと自体が夢だったのではないか。
檀はわざわざ寝巻からラメ入りのカーディガンなどに着替えていたが、隣家での仲間との対決、あれはいったい本当にあったことなのか。
対決が夢だったとしたら、仲間が首にナイフを当てて窓から落ちたにもかかわらず、檀が雇った探偵が、仲間の行方がわからなかったなどと報告した理由がわかる(死んだり負傷したのであれば、行方がわからないということはない)。
その場合、DVDを送ってきたのも探偵なのだろうということになる。

檀を最後に救う人となると確信していた青山和也は、単に仲間が「好きだった」ということがわかり、ひどく拍子抜けだった。
母性を軽蔑していた青山はなぜ仲間に惹かれたのだろうか。
マイヤーという突飛な変名は何を意味していたのだろうか。

探偵がもたらした情報によれば、仲間と檀は鏡に映したようにそっくりな経歴であった。
例の大鏡は、二人が鏡写しの存在であり、それが割れたときに何らかの均衡が崩れたことを意味している。
そもそもマイヤーという人間が本当に存在したのかどうか。
檀の心の中だけの存在だったという説も否定できない。

檀のもとに届いたDVDには、亡児がわが子でないことを知って安堵する檀の姿がニュース映像として残されていた。
これを仲間が見たことが、その行動の動機であったとされている。
仲間の息子ハヤト君はなぜ水に入ったのか、そこにホタルの会の活動がかかわっていたのではないかという想像は裏切られた。
公園の大木の枝で駿君と池を見下ろしていた青山和也が、ハヤト君が溺れていくところを目撃していたのではないかというのも、邪推に終わってしまった。

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