『トーク・トゥ・ハー』ってどんな映画?
植物状態となり、ベッドから動けない2人の女性。彼女たちを献身的に見つめ続ける2人の男。ペドロ・アルモドバル監督の最高傑作とも評される本作は、一歩間違えれば狂気や犯罪ともとれる「狂おしいほどの愛」を、息をのむほど美しい映像美と、あまりにも切ないピアノの旋律で包み込んだ濃厚な人間ドラマだ。
物語の軸となるのは、対照的な2人の男の交流である。若く純真な看護師ベニグノ(ハビエル・カマラ)は、昏睡状態のバレリーナ・アリシアに毎日話しかけ、髪を整え、まるで彼女が生きて会話しているかのように接する。一方で、大怪我で同じく昏睡状態となった女性闘牛士の恋人を持つライターのマルコ(ダリオ・グランディネッティ)は、ただ涙を流すことしかできず、意思の疎通を諦めないベニグノの姿に困惑しつつも、次第に深い友情で結ばれていく。
この映画の凄みは、ベニグノの行為がもたらす「ある衝撃的な事件」を境に、観客の倫理観を激しく揺さぶる点にある。彼の愛は、純粋無垢な献身なのか、それとも独りよがりの異常な執着なのか。アルモドバル監督は、作中に挿入されるモノクロの疑似サイレント映画『縮みゆく恋人』というあまりに奇妙でエロティックな寓話を通じて、男の歪んだ、けれど一点の曇りもない愛の深さを間接的に、かつ強烈に表現してみせる。
哀しい現実の裏で、ピナ・バウシュの静謐なダンスステージや、劇中で歌われる名曲「ククルクク・パロマ」の調べが、言葉にならない男たちの孤独と情熱を代弁している。
愛すること、そして相手に「話しかけること」の本質とは何か。観終わった後、善悪の彼岸にある「純愛」の不気味さと美しさに、しばらく言葉を失ってしまうような濃密な一作だ。
あらすじ
ジャーナリストのマルコは女闘牛士のリディアに惹かれ、恋人のような関係になるが、闘牛の突進を避けられずに重傷を負って昏睡状態に陥ったリディアは、医師から回復は見込めないと言われる。一方、母親を介護し看取ったベニグノは、自宅向かいのバレエ教室の生徒アリシアに惹かれ、後をつけて自宅を突き止めるが、アリシアもまた交通事故で昏睡状態に。介護師として父親に雇われたベニグノは、以来4年に渡り、日々の出来事を彼女に話し聞かせながら献身的に世話をする。昏睡状態の女性の世話をする同じ境遇から、マルコとベニグノは偶然に知り合い親しくなる。

しかし、ある時、病室にリディアの元恋人が現れ、事故が起きる以前に二人がよりを戻していたことを知り、マルコは旅に出る。
一方、アリシアとの結婚を考えていたベニグノは、「体が縮み続けて愛する女性の性器に入る男」を内容としたサイレント映画に刺激を受ける。やがて生理がないことでアリシアの妊娠が発覚し、最後の生理日を偽って記載したベニグノはレイプ犯として逮捕される。
8か月後、海外にいたマルコは新聞でリディアの死を知り、またベニグノの投獄を聞いて刑務所へ。面会で、出産したはずのアリシアの様子が知りたいと懇願され、マルコはベニグノの部屋から向かいのバレエ教室を眺め、杖を使いながらも歩けるようになったアリシアの姿を見て驚く。
子どもは死産だったと弁護士から聞かされ、ベニグノにアリシアの回復を口止めされたマルコは、彼女は昏睡状態のままだと伝えるが、翌朝、刑務所に駆け付けると、ベニグノは「アリシアと同じ世界に行く」という手紙を残して命を絶っていた。
ある晩、舞踏家の公演を観に行ったマルコはアリシアから話しかけられ、初対面を装って話をする。
キャスト
マルコ・スルアガ(ライター) – ダリオ・グランディネッティ
アリシア(バレリーナ) – レオノール・ワトリング
リディア・ゴンサレス(女性闘牛士) – ロサリオ・フローレス
カテリナ(アリシアのバレエの師) – ジェラルディン・チャップリン
劇中の映画『縮みゆく恋人』のヒロイン – パス・ベガ
アルモドバル的体験としか言いようのない、過剰な映画的体験。
一見ひどく単純なように見えて、思い返してみるとひどく様々な要素がからまりあっていると感じさせるというのが、やはりアルモドバル的体験なのである。なにもかもがばっちり決まっているのに、やはりどこか過剰にはみ出てしまうというか。
まず、ピナ・バウシュ本人が出ているのに驚かされる。この「カフェ・ミュラー」は、ピナ本人が出演する唯一の作品らしい。よろめき踊るピナの前からカフェの椅子やテーブルを献身的に片付けつづける男。それを見て涙する男と、その顔を盗み見る隣席の男。
中盤までの舞台となる病院の名前はエル・ボスケ(森)。眠れる森の美女にひっかけたのだろう。
眠り続けるアリシアを演じるレオノル・ワトリングは美女と呼ぶにふさわしいが、アルモドバルは女にはじつは興味はなさそうだ。
「縮みゆく恋人」なる奇妙なサイレント映画が挿入されていて、演じているのはフェレ・マルティネスとパス・ヴェガなのだが、小さくなったフェレがパス・ヴェガの体の中に消えていってしまうという人を食ったものである。
こういう発想は、ヘテロにはできないような気がする。中心となっているのは、あくまでも、ハビエル・カマラが完璧に演じたベニグノという忘れ得ぬキャラクターと、狂言まわしのマルコ(ダリオ・グランディネッティ)との魂の交感である。
この映画は、特に女性の評価がまっぷたつに割れるのだが、ベニグノきもい!と叫んでしまうのは、出来の悪いアメリカ映画に馴らされすぎているということもあるけれども、結局、アルモドバルの視点がどこまでも女性向きではないからだと思う。
女闘牛士リディア(ロサリオ・フローレス)の激しさが印象的だ。闘牛服ってあんなふうに着るんだね。一人じゃできない……
映像は例によってゲイ的感性のみがなしえる重厚、ゴージャスさ! キャメラはハヴィエル・アグィレサローベ(「アザーズ」)。
さて、リディアはなぜ蛇を嫌がるのか、蛇を退治したマルコはなぜ涙を流したのか(映画を通して、マルコは泣いてばかりなのだが)。
『トーク・トゥ・ハー』を観るには?
『トーク・トゥ・ハー』作品情報
脚本 – ペドロ・アルモドバル
製作 – エステル・ガルシア
製作総指揮 – アグスティン・アルモドバル
音楽 – アルベルト・イグレシアス
撮影 – ハビエル・アギーレサロベ
編集 – ホセ・サルセド
製作会社 – エル・デセオ
配給 – スペインの: Warner Sogefilms、日本: ギャガ・コミュニケーションズ
公開 – スペイン: 2002年3月15日、日本: 2003年6月28日
上映時間 – 113分

![\トーク・トゥ・ハー[DVD]はコチラ/](https://dramatic-impress.net/wp-content/uploads/81X2I32kKvL._AC_SL1441_-725x1024.jpg)


コメント