『私のように美しい娘』ってどんな映画?
刑務所に収監されているのは、数々の男たちを破滅させ、殺人の容疑までかけられた「稀代の悪女」。しかし、その素顔は最高にふしだらで、最高にチャーミングな野生のジャガーのような女だった。トリュフォーが、初期の短編『あこがれ』でもミューズを務めたベルナデット・ラフォンを再び主演に迎え、男たちの身勝手な幻想をコテンパンに打ち砕く快作ブラック・コメディ。
物語は、若く真面目な社会学者スタニスラス(アンドレ・デュソリエ)が、犯罪心理の研究のために、獄中の美女カミーユ(ベルナデット・ラフォン)へインタビューを行うところから始まる。テープレコーダーを前に彼女が語り出すのは、貧困から抜け出すために男を騙し、利用し、時に物理的に突き落としてきた、あまりにもハチャメチャでバイタリティ溢れる半生。
見どころは、カミーユという強烈なヒロインに文字通り「骨抜き」にされていく男たちの、哀れで滑稽なドタバタ劇。愛人となるネズミ捕り業者のアルチュール(シャルル・デネル)は、宗教的な狂信者でありながらカミーユの肉体に溺れていく。さらに、いかがわしい弁護士のミュレーヌ(クロード・ブラッスール)や、嫉妬深い夫のクロヴィス(フィリップ・レオタール)など、どいつもこいつも一癖も二癖もあるエゴイストがカミーユの奔放な魅力に振り回され、自滅していくプロセスが、ジャン=ルー・ダバディの辛辣でテンポの良い脚本によって小気味よい笑いを呼ぶ。
堅物の学者が女の「生」のエネルギーに毒され、客観的な研究者からいつしか彼女の無実を証明しようと狂奔する信者へと変わっていく姿は、皮肉でありながらどこか哀愁が漂う。ベルナデット・ラフォンが放つ、下品さと神聖さが同居したようなハスキーな笑い声と肉体的な存在感が圧倒的だ。
トリュフォーは、男たちが勝手に作り上げる「聖女」や「悪女」というレッテルを、カミーユという一人の女の圧倒的な生命力によって笑い飛ばしてみせた。嘘と裏切りに満ちているはずなのに、なぜか観終わった後にスカッとした爽快感に包まれる、毒気とエネルギーに満ちあふれた異色の上質なコメディだ。
あらすじ
社会学者のスタニスラス・プレヴィンが出版するはずだった書物「犯罪女性」は予告が出ていたにもかかわらず、店頭に並んでいない。1年ほど前、プレヴィンは女性犯罪者の動機と心理についての論文を書くために女囚刑務所を訪れ、愛人を塔から突き落とした罪で服役中のカミーユ・ブリスに定期的にインタビューを行った。彼女の数奇な半生を聞いていくうちに、自らも彼女の魅力に参ってしまったプレヴィンは、彼女の無実の罪という言葉を鵜呑みにして、真相究明のために現地に飛び、殺人現場を撮影していた少年をみつけ、カミーユの無罪証明材料を入手して裁判を迎えた。しかし晴れて出所した彼女とプレヴィンが語り合っている所に昔の愛人と称する男アルチュールが現われ、プレヴィンを殴り倒した。それからの出来事を彼は覚えていないが、カミーユはアルチュールを拳銃で撃ち殺し、その拳銃を気絶しているプレヴィンの手に握らせた…。
キャスト
スタニスラス・プレヴィン – アンドレ・デュソリエ
ミュレーヌ – クロード・ブラッスール
アルチュール – シャルル・デネル
サム・ゴールデン – ギー・マルシャン
クロヴィス・ブリス – フィリップ・レオタール
エレーヌ – アンヌ・クレス
イゾベル・ブリス – ジルベルト・ジェニア
フロランス・ゴールデン – ダニエル・ジラール
もちろん、落下のシーンもあり。
ベルナデット・ラフォンが17歳のデビュー作「あこがれ」以来、久々にトリュフォーの映画に出演。スカートをからげて、尋常じゃないスピードで走るあばずれぶりは、相当な見モノである。
これは、憂鬱な「恋のエチュード」を撮り終えた後、「まったく異なる種類の映画を撮りたい」という意思のもとに撮られた軽妙なコメディである。ちなみに、この映画の次に撮ったのは「アメリカの夜」。
しかしトリュフォーって、タイピストが好きだな……
『私のように美しい娘』を観るには?
『私のように美しい娘』作品情報
脚本 – フランソワ・トリュフォー、ジャン=ルー・ダバディ
原作 – ヘンリー・ファレル
製作 – マルセル・ベルベール
音楽 – ジョルジュ・ドルリュー
撮影 – ピエール=ウィリアム・グレン
編集 – ヤン・デデ
配給 – 日本の旗 ヘラルド
公開 – フランス:1972年9月13日、日本:1974年10月15日
上映時間 – 98分




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