『恋のエチュード』ってどんな映画?
ひとつの若き魂を分け合うようにして生きた2人のイギリス人姉妹と1人のフランス人青年。『突然炎のごとく』の原作者アンリ=ピエール・ロシェのもうひとつの小説を映画化した本作は、20年というあまりにも長い歳月のなかで、3人の男女が愛の可能性をすべて試し尽くそうとした、あまりにも美しく過酷な恋愛の実験記録である。
物語の始まりは20世紀初頭。美術を志すフランスの青年クロード(ジャン=ピエール・レオー)は、母親の旧友の娘であるアン(キカ・マーカム)に誘われてウェールズを訪れる。そこで出会ったのが、アンの妹であり、どこか厳格で内向的なミュリエル(ステーシー・テンデター)だった。
トリュフォーの分身であるジャン=ピエール・レオーが、ここではいつものドワネルのようなコミカルさを封印し、愛に迷い、愛に翻弄される一人の男の未熟さと色気を、生涯最高の芝居で魅せる。そして何より、彫刻家を目指す奔放な姉アンと、純潔の誓いと罪悪感の狭間で激しく身を焦がす妹ミュリエルという、対照的な姉妹の存在感が素晴らしい。キカ・マーカムの気品ある美しさと、ステーシー・テンデターの狂気をはらんだ熱い眼光が、この愛のゲームを単なるメロドラマから、魂の格闘技へと昇華させている。
脚本のジャン・グリュオーと練り上げられた本作の白眉は、文字通り「手紙」によって紡がれる距離のドラマだ。パリとウェールズ、海を挟んだ物理的な距離、そして母親たちの反対によって課された「1年間の音信不通」という時間の壁。会えない時間が愛を育て、同時に残酷なすれ違いを生んでいくプロセスが、トリュフォー自身の淡々としたナレーションと、日記の文章を重ね合わせる繊細な手法で、胸が締め付けられるような純度で描かれる。
ディウルカ(フィリップ・レオタール)らとの都会的な交友や、時折挿入される別の女性たちの影が、クロードの優柔不断さを際立たせる一方で、姉妹がそれぞれに選ぶ「愛の結末」の潔さが際立つ。
人は同時に2人の人間を愛せるのか。肉体の結びつきと、精神の純潔はどちらが重いのか。若さゆえの残酷なエゴイズムと、歳月がもたらす喪失の痛みを経て、ラストシーン、ロダンの彫刻が佇む庭園でクロードが呟く言葉。それは、人生のすべてを愛に捧げた者だけが到達できる、あまりにも静かで、深い孤独の風景だ。
あらすじ
パリで母妹と暮らす文学青年クロードは、母の旧友の娘で英国人のアンから誘われ、ウェールズにある彼女の実家で夏を過ごすことに。そこには目を患いながらも気丈で神秘的な魅力を放つアンの妹、ミュリエルがいた。クロードは姉妹の双方に心惹かれ、姉妹もまた彼に好意を抱くようになるが、クロードの曖昧な態度のせいで三人の関係は揺れ動く。姉のアンは妹のために自ら身を引き、事態を察した母親のブラウン夫人は、二人を諭してクロードを隣家に移らせるものの、ミュリエルの想いを尊重して交流自体は認める。意を決したクロードは妹ミュリエル一筋に生きることを誓い、手紙で想いを伝えるが、ミュリエルは「自分は川の流れのように変わる」という言葉を遺し、姉を介して彼を拒絶する返事を送るだった。それぞれのモノローグが交錯し、引き裂かれる若者たちの切ない恋模様の中、さらにクロードの母親もウェールズの地へと訪れ、物語はさらなる局面を迎える。
キャスト
●ロック家
クロード・ロック – ジャン=ピエール・レオー
ロック夫人(クロードの母) – マリー・マンサール
■イギリス・ウェールズ
●ブラウン家
アン・ブラウン(姉) – キカ・マーカム
ミュリエル・ブラウン(妹) – ステーシー・テンデター
ブラウン夫人(ロック夫人の旧友) – シルヴィア・マリオット
■その他
フリント氏(ブラウン家の隣人) – マーク・ピーターソン
ディウルカ(出版社経営) – フィリップ・レオタール
ルータ – イレーヌ・タンク
モニーク・ド・モンフェラン – アニー・ミレール
ナレーター – フランソワ・トリュフォー
ジャン=ピエール・レオーの後ろ姿に、深い喪失感におそわれる。
とても念入りに撮られた様式的な映画。トリュフォー自身によるナレーション、大胆なモンタージュ、流麗なキャメラの動きが渾然となって、パリとウェールズ(撮られたのはノルマンディーだが)を幾度となく往復する陰鬱な物語を紡ぎ上げる。雨に降られたジャン=ピエール・レオーと二人の少女(と少女たちの母親)が、岩場のくぼみでからだを揺らすシーンの幸福感はすばらしい。
ネストール・アルメンドロスの色彩設計、増感による光のコントロールがすばらしい。パリもウェールズもつねに夏、という設定には相当苦労したようだ。
おなじみジャン=ピエール・レオーの、相変わらず醒めた、というか投げやりな演技が心地よい。最後、車のウインドウに映った自らの顔(ひげをはやして眼鏡をかけている)を見つめ、「これがぼくか。まるで老人だ」とつぶやき、少女たちとロダン美術館の門をくぐって出て行くのだが、その小柄な後ろ姿を見ながら、なんともいえない深い喪失感におそわれる。
『恋のエチュード』を観るには?
『恋のエチュード』のトリビア
本作は、今でこそトリュフォーの繊細な恋愛映画として評価が高いが、公開当時は意外にも興行的に失敗し、監督本人にとって苦い経験となった作品でもある。そんな本作には、映画ファンなら知っておきたい興味深いトリビアが多い。
- トリュフォーは、本作の不評の原因を「感傷的すぎる演出」にあったと自己分析していた。特に、娘がロウソクを持って暗い階段を昇る場面のような情緒的な演出を象徴的なものと考え、本作、『アデルの恋の物語』、『緑色の部屋』を自ら「ロウソクの3部作」と呼んでいる。
- この“ロウソク”へのこだわりは後年まで続き、『アメリカの夜』では女優の顔を美しく照らすため、カメラに映らない位置に特殊な照明付きロウソクの小道具まで用意されたという。背景には、師と仰いだヒチコックから学んだ「run for cover(確実な地点に戻ってやり直せ)」という映画術があった。
- 一方で、作品そのものは不評でも、撮影監督ネストール・アルメンドロスによる映像美は高く評価された。柔らかな自然光を活かした画面づくりは、今なお本作の大きな魅力とされている。
- オリジナル版は132分だが、「初夜でシーツに血がベッタリ」という場面に抗議が殺到し、さらに作品全体への不評も重なって約20分をカットした118分版がパリで公開。アメリカではさらに短い106分版となり、日本でもこの106分版が上映された。後に1987年、『恋のエチュード 完全版』としてオリジナル版が日本公開されている。




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