『ふたりの5つの分かれ路』ってどんな映画?
ある夫婦の「離婚の成立」から物語が始まり、時間を過去へとさかのぼりながら、彼らがなぜ別れなければならなかったのか、そしてなぜあれほど激しく愛し合ったのかを紐解いていく。フランソワ・オゾン監督が男女の関係の残酷さと儚さを鮮やかに切り取った、ほろ苦くも冷徹な映画だ。
タイトルが示す通り、映画は夫婦の人生における「5つの断章」を逆時系列で映し出していく。
公証人の前で淡々と離婚書類にサインを交わす冷え切った現在。その前の、ジルの兄のゲイのパートナーを交えた、どこか不穏な緊張感が漂う友人たちとのディナー。さらに遡り、子供の出産という幸福なはずの瞬間に訪れる決定的な心のすれ違い。華やかさの裏で孤独と嫉妬が渦巻く結婚披露宴の夜。そして最後に辿り着くのは、イタリアの美しいリゾート地で2人が恋に落ちた、非の打ち所がないまぶしい始まりの瞬間だ。
見どころは、時間を逆行させることで、観客がすべての出来事を「結末を知った上での皮肉」として目撃することになる点。
ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ演じるマリオンの、知性と繊細さの裏にある寂しげな眼光。そしてステファン・フレイス演じるジルの、悪気はないものの決定的な場面で妻から逃げてしまう身勝手さ。出産直後の病院のベッドで、あるいは披露宴の喧騒から離れた暗がりで、彼らが交わす些細な視線や沈黙が、のちの破局への伏線となっていたことが分かり、観ていて胸がヒリヒリと痛む。
マイケル・ロンズデール、フランソワーズ・ファビアンといったベテラン勢が演じる親世代の冷え切った夫婦関係も、まるでこの若い2人の未来を予言しているかのように配置され、オゾン監督らしい一筋縄ではいかない人間観察の鋭さが光る。
どんなに激しく、美しく始まった愛であっても、日常の小さな亀裂の積み重ねによって、跡形もなく崩壊してしまう。
ラストシーン、夕日が沈む海辺で、まだお互いを知り尽くしていない2人が寄り添って泳いでいく後ろ姿。これ以上ないほどロマンチックで、だからこそこれ以上ないほど残酷なその光景に、愛の不可解さと人生のままならなさを思わずにはいられない、大人のためのビターな一作だ。
あらすじ
今、1組の夫婦が離婚手続きを終えた。その後、元夫婦となったジルとマリオンはホテルに行くが、やはり二人の間の溝は埋まらず、やり直すことなど出来ないと悟る。そして二人の過去が、倦怠期、出産、結婚式、出会いと時を遡って描かれる。
キャスト
ジル – ステファン・フレイス
ヴァレリー – ジェラルディン・ペラス
モニク – フランソワーズ・ファビアン
クリストフ – アントワーヌ・シャペイ
ベルナール – マイケル・ロンズデール
マチュー – マルク・ルシュマン
後にいくほど出来がよくない気がする。
本作が「編集の映画」ではない証拠に、オゾンは5つのエピソードを時系列にさからって(つまり観客が見るのと同じ順序で)撮っている。
とくに3つ目とそれ以降の間には3か年のブランクがあり、主演のふたり(ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ、ステファン・フレイズ)は本当に若がえっているかのようだ。
イタリア語の懐メロを基調にして恋愛の軌跡を逆順に並べるという、オゾン流の思いつき一発アイディアで始めたところまではよかったが、5つの別のフィルムを撮るという単純な困難に途中で立ち往生したのではないだろうかと邪推してしまうのは、後にいくほど出来がよくない気がするからだ。
自分で映画も撮るヴァレリア・ブルーニ・テデスキはなかなかの演技派で、芝居の流れの中でとても魅力的な表情をするので、目を離せない。
妻の出産から逃げようとする夫の心理は、初夜に別の男と関係する花嫁の心理と同程度には、わかるような気もする。
『ふたりの5つの分かれ路』を観るには?
『ふたりの5つの分かれ路』作品情報
脚本 – フランソワ・オゾン、エマニュエル・ベルンエイム
製作 – オリヴィエ・デルボスク、マルク・ミソニエ
音楽 – フィリップ・ロンビ
撮影 – ヨリック・ル・ソー
編集 – モニカ・コールマン
配給 – 日本の旗 ギャガ
公開 – フランス:2004年9月1日、日本:2005年8月20日
上映時間 – 90分




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